5月21日日曜日の記録。
春の懇親茶会が大先生ご自宅敷地内「延寿軒」で催された。
土曜日クラスは広間の薄茶席担当。私は半東とお点前をそれぞれ一回、お水屋は結局ほとんど担当せずお運びを数席担当した。全体的にお客様の数が減っているので、以前のような目の回るような忙しさはなく、余裕で他のお席回りも出来るほどだった。
大先生は、朝9時15分からお席を回りますからねっ!と仰っていたのに、実際にお出ましになったのは8時15分!
やっと炭を熾して釜がかかったくらいで、茶入れにはお抹茶も入っていない状態のところに大先生ご登場で、現場は大混乱!
濃茶一席目にお点前を担当する予定のURさん(男性弟子の方)はまだいらしていなくて、大急ぎで電話したり。ご近所だったのでなんとかかけつけてもらい、水屋では大急ぎで茶入れを整え、一緒にお席に入る代稽古の先生方もあわてて身支度を調え、8時半に濃茶席から席入りがスタートした。
これでもうだいぶみなさん消耗したと思われ(^_^;
薄茶席は濃茶席の次と言われ、しっかりスタンバイ。お点前はこちらも男性弟子のTさん、半東はK先輩、後見はU先輩のはずが、席入りされた大先生がUさんを客として一緒に入るよう呼び寄せてしまったので、自動的に半東のKさんが後見役も担うことになってしまった。私はお運びで、大先生にお菓子をお出ししてお姿を見上げると、なんと久しぶりにシックなお着物姿!
やっぱり大先生はお着物姿が一番だわー(感涙)(^^)
滞りなく薄茶席が終わったのが9時ちょっと過ぎ。まだ一般のお客様もお見えではなかったので、薄茶席2席目にちゃっかりお客として入らせていただいてしまった。
お軸は「楽事万々歳」、ご当代のお筆なので、やや(かなり?)小ぶりな字だが、大先生が鵬雲斎大宗匠から手渡しでいただいたお軸とのこと。(なので最近まで鵬雲斎の軸だとばかり思っていらしたんだそうだ。大宗匠らしからぬ小さな字ね、と大先生。お弟子のみなさんがこれはご当代のお筆ですよ、とお教えしたらしい(^^))
花入れは仁清の写しで「笛」、写真では小さくて見えないが、床にかざられている茶杓のうち一本が鵬雲斎大宗匠作の「一曲」 こんな道具組を大先生はとても楽しんでおられる。(もう一本は大先生作、大先生ご主人様命銘「茶の心」。こちらは毎回お茶会のときには必ず荘られるお茶杓だ)。
点前座は吉野棚で、水指はつい最近までご存命だった渡辺六郎さんの織部、お茶碗は六本木に窯を構える現役作家前田正博さんの作。なんともモダンな点前座だったのだ。
濃茶席のお軸は、鵬雲斎大宗匠の「無一帰大道」 やっぱり大宗匠の字は素敵だ。
もう一席、立礼の茶箱席があったのだが、写真は撮りそびれてしまった。
最近大先生は、今日庵の様々な役職からすべて身を引かれ、家にこもっていらっしゃる。自分の茶室で、楽しくやっていくのよ、とのこと。後進を育てて、自分自身は楽しくお茶を続けられればそれが一番と仰る。相変わらずここは道場、遊びに来るところでは無い!と言いつつ、笑顔を忘れず楽しくやりましょう、とも仰る。
「無一大道に帰す」の精神で様々なものを犠牲にして修行を積んでこられた先生が、卒寿を迎えるに至って「楽しき事万々歳」の境地になられた、今回のお茶会はそれをはっきりと表明されたお茶会だったのかもしれない。
お礼状には、こんな風に書いた。
「濃茶席で拝見した「無一帰大道」と薄茶席にかけていただいた「楽事萬々歳」ですが、この二つの言葉は対照的なようで、実は一つのこと、すなわち茶道が目指すもの「茶の心」を言い当てた言葉であるように私には感じられました。そしてこの二つが今の大先生のお心持ちなのではと拝察致しております。今に至るまでに、先生がどれほどの努力を重ねられたことか、思いを馳せながら二つの言葉をかみしめております。」
巻紙に筆で手紙を書くのももう15回目くらい。一番最初の頃の文字に比べてだいぶ筆になれてきた。年に3度か4度でも筆を持つことを続けるとこうなるのだなぁ。続けるってすごいことだと改めて思う。
ありがとうお茶。ありがとう大先生。
平成二十九年五月二十一日
薄茶席 ※は私のメモ
床 楽事萬々歳 坐忘斎御家元御染筆
花入 笛 仁清写し 祥平造 ※杉田祥平 清閑寺窯
香合 海松絵 桐蛤 淡々斎箱 裕軒造 ※岩木裕軒?秀斎?
釜 切掛風炉釜
風炉先 銀網代 淡々斎好
棚 吉野棚 圓能斎好
水指 織部 渡辺六郎造
薄器 宝尽くし金輪寺 石斎造 ※辻石斎?山中塗
茶杓 鵬雲斎大宗匠作 銘 一曲
荘先生作 ご主人命銘 茶の心
茶碗 色絵 前田正博造 ※現代作家 六本木
替 色絵 波車
蓋置 銀製
建水 黄瀬戸
菓子器 山道足付 黒 仁徳斎好 赤 淡々斎好
莨盆 蛍籠炭斗を見立 圓能斎好
火入 菖蒲絵 九谷焼き