「 こそだて日記 」一覧

モンテジア骨折

お昼休み、12時半頃だったろうか。中学校の養護教諭から電話で、末娘が体育の授業で高飛びをしていて着地に失敗し腕を骨折したようだ、と連絡が入った。
養護教諭の話では、最初は脱臼と思って近所の接骨院に連れて行き処置をしたが、痛がり方が尋常では無かったので、接骨師もギブアップし、救急対応で整形外科に行ってくれと言われてしまった。そこで中学校のすぐ近くの大学病院Jに連絡を入れると、午後からオペが入っているから救急を受け入れられないと断られ、隣町のH病院の整形外科でやっと見てもらえることになり、H病院へ向かいますというものだった。
連絡をもらって会社をすぐに出て、H病院へ向かう。
私が到着すると、レントゲン室など検査室が並ぶ廊下で養護教諭が座って待っていたので一緒にしばらく待っていると、整形外科の先生が出てきて説明してくれた。
脱臼だけじゃ無く骨折もしている。脱臼はすぐこれから整復しますが、骨折は手術をした方が良いでしょう、というお話。そして、養護教諭に向かって、こういう場合接骨院はだめだ。あそこはレントゲンも何も撮らずに何も分からずやるから!と。そして、私の方に向き直って、今回は接骨院に行ったことで却ってわるくなった部分もあるけど、でも大丈夫、治します!(`・ω・´)キリッと仰った。心強いお言葉。
そして再度末娘を処置室に連れて行き、脱臼の整復にはいった。
外で待つ私たちのところまで、うげーーーっ!ぎゃーーーっ!あ゛ーーーーっ!という末娘の悲鳴が聞こえる。よほど痛いのだ。
そして静かになり、しばらくすると車椅子に乗せられて末娘が出てきた。ぐったりしていて過呼吸寸前になるくらいしゃくり上げながら泣いている。
脱臼はとりあえずもとに戻った。しかし骨折はなるべく早く手術をしないときれいには治らない。私たちに任せてもらえるのなら、今日から入院して明日手術します、と整形外科の先生。さきほどから、絶対治す!と言い切るその強さに、私も飲まれて(?)「お任せします!」と答えましたとも。
そこから改めて外来の部屋に戻り、レントゲン写真を見せてもらいながら説明を受けた。診断名は「モンテジア骨折」というもの。
橈骨の脱臼と尺骨の骨折が組み合わさった複雑骨折だそうだ。
骨折したところを切開して骨を正しい位置に戻し、金属をボルトで留めてまた閉じる手術。そうすることにより、骨が正しい位置で繋がり、今後脱臼も起こりにくくなるそうだ。明日に向けて血液検査や、心臓の検査、肺のレントゲンや、肺活量なども検査した。
私は入院の手続きを取り、お昼から何も食べていない末娘にコロッケバーガーとおにぎりを買って(実は私もお昼食べてなかったけど)再度整形外科の先生から、手術の内容説明を受け承諾書にサインをし、やっと入院の準備が整った。
末娘の主治医は整形外科だけど入院する病棟は小児科なのだ。
案内されて入っていくと、何とそこには、末娘と保育園が同じだったママ友(小児科医)の姿が!!この春からこちらの病院に赴任したばかりなんだそうだ。
あらまぁ。やっぱり末娘はこの病院にご縁があったのね!(縁起担ぎ)
病室は一番奥の4人部屋だけれど、末娘以外だれもいない。がらんとした病室で、麻酔科の医師からの説明、小児科医師の手術前診察、手術室担当看護師の説明、今日の担当看護師の説明をそれぞれ順番に受け、終わったのが5時すぎ。
いったん私は家に戻って荷物を持って再度病院に行ったら6時半。
末娘はさっぱりしたパジャマに着替えシャワーも済ませてもう晩ご飯を食べていた!
さて、明日は全身麻酔をしての手術。ちょっと心配だけど、あの先生が執刀してくれるのなら、きっとうまくいくでしょう。
そういえば、末娘の血液型が初めて判明した。
まさかのAB型でした!(本人もまわりもB型?と思ってた!)


上娘の誕生日

昨日、節目の誕生日を迎えた上娘さん。子どもは二十歳で成人、親権から外れる訳だけれど、二十歳でなんか人は大人になれない。私が思うに、人は30歳でやっと大人になるんじゃなかろうか。大人の意味にもよるけど、精神的に自立してくる時期とでも言いましょうか。(私及び私が今まで出会ってきた人たちという少ないサンプル内の話ではあるのですが)
娘が大人になったら、一生使える本真珠のネックレスを上げたいと前々から考えていた。特に6月生まれの上娘さんの場合は、真珠は誕生石でもありますし、ますますピッタリ。
日曜日に渋谷、銀座とまわってやっと手に入れた真珠のネックレスとイヤリングのセットを、昨日家人が帰宅するのを待って(実は待ちきれず23時57分に)渡しました。家人が帰ってきたのはその2分後の23時59分で、なんとか6月17日に間に合いましたが、もう包みを開けてしまっていましたよ。
ふだん、フォーマルウェアとは全く縁のない上娘さんなので、実はネックレスだけもらっても合わせる服がないんですが、まあそれは自己責任でよろしくお願いします(笑)
自由で自立した大人になってください。


なかなか困難なスタート

今日は都立通信制SY高校の履修登録日だった。割合早く起きて支度して時間通りに行ったようだ@中娘。
私はいつも通りお茶のお稽古にでかけていたのだが、帰りのバスの中で携帯の留守電に気付いた。SY高校の副校長から。折り返し電話すると、今日の中娘のことだった。
履修科目登録までは順調だったのだが、証明書写真を撮る段になってパニックを起こして、結局撮影が出来なかったそうな。
パニックを起こすというのは具体的にどのような様子だったか聞いてみると「私(副校長)は直接は見ていないんですけど、とにかく泣き出してしまったらしいんですよね」と仰る。
最近の中娘のパニックは、緊張のあまりものが飲み込めなくなるとか、呼吸困難になるというのがあったが、それ以外に、泣き出してしまってとにかく泣く、というのがある。本人はどうしようもなくなって泣くしかないと説明していたが、今日はそれが出たか。
可愛く写真に写るようにわざわざ昨日美容室で髪の毛カットしてもらったのに、残念なことをした。
副校長先生がおっしゃるには、話を聞いてみたらとにかく写真を撮られるのが死ぬほどいやだ、というので、じゃあ、願書の写真はどうしたの?と聞いたら、すごくがんばって撮ったと答えたそうだ。
あれ、そんなに頑張って撮ったのか。機械でとるから大丈夫だったんじゃなかったのか・・・。
学校も困っただろうなぁ。しかし、そこはSY高校。最終的には願書の写真をスキャンするから撮らなくていいということにしてくださったそうで、副校長曰く、「そう言ったら、そのあとはちょっと元気になった。」
ったく現金な奴(苦笑い)。
さらに、副校長は、彼女にとっては、人がいることがかなりストレスになるようだから、入学式も無理なら欠席しても大丈夫だから、と仰って下さった。
あんなこともしてみたい、こんなこともしてみたい、こうなりたい、ああなりたい、という夢が色々あっても、いざ特定の場面に遭遇すると、体が硬くなってしまってそこから先に進めなくなる。なかなか面倒で困難な障害をかかえたものだ。
でも。
今はそういう時期だから。
少しずつ、自分で自分をコントロール出来るようになるまでまだ時間がかかるだけだから。


通信制高校

今どきの都立高校で書いた高校を受けた中娘さん。今日が発表だった。
わざわざ会社を休んで、一緒に行こうと思ったのに、8時に起こし、9時に起こし、10時に起こし、10時半になっても起きなくて、その間にしっかり出かける支度してしまった私に「これから用意しても遅くなるばかりだからお母さん行ってきてぇ?」と言い出した。
経験上この展開では絶対に起きないし、絶対に行かない@中娘。
なので、さっさとあきらめて霙の中一人で行ってきました。
結果は合格。家人にメールしたら Chariots of fireに出てきたcollegeの校長を真似て”Just as I expected.”と返事が返ってきた。受検後(入学試験でなく学力検査。なので、受験じゃなくて受検)採点した結果、多分大丈夫でしょ、という判定をしていたのだ。
そうは言われていても、番号を見るまでは不安だ。合格とはっきり分かったときには本当にほっとした。
しかし、これからがどうなることか。入学資料を持って帰って中娘に見せると、入学式とか写真撮影とか苦手なんだよーーやだよーー(^0^;)だって。
もうこうなったらじたばたせずに流れに任せるしかない!茶髪OK,ピアスOKの自由な学校が理想だった中娘が、晴れて理想の高校の生徒になれたんだから、入学式くらい何てことないよ!!と言いたい。
・・・言わないけど。
18日が入学式。ちょうど良いことにお茶のお稽古も無いので、一緒に行ってやるかな。


今どきの都立高校

私が高校受験をした頃(30年前?いや、40年近く前?!)は、都立高校といえば、普通科、全日制、定時制、商業高校、工業高校くらいしかバリエーションが無かったように思う(知らないだけかも知れないが)。
が、昨今は、普通科、単位制、専門学科(工業、商業、農業、国際,芸術などなど)、定時制、通信制、サポート校と、様々なタイプの学校が取りそろえられている。学年に一人二人いるかいないかだった不登校もいまやクラスに一人二人は当たり前の時代だ。そんな子達も生きられるような、様々なタイプの子に対応するような場を、学校の側がたくさん用意するようになった、とも言い換えられるだろう。
中娘は出席日数が足りず、今通っている私立高校で3年生になることはできなくなった。留年か、転学か、担任の先生やカウンセラーの先生などとも相談して本人の希望で、転学、通信制にチャレンジしてみることになった。
本人が一人で私立のW学、N学園の見学と説明を聞き、そして昨日は都立のSY高校の通信課程説明会に私と一緒に行ってきた。
SY高校は7階建ての建物で、冷暖房完備の体育館、一年中使える温水プール、定時制で情報学科を抱えているため充実したOA関係の設備、近隣の住民にも使われている図書室などなど校庭は無いけれども、十分すぎるほど恵まれた施設を誇っている。
200人以上入る大講義室にあふれるほどの保護者と子どもで一杯になった説明会場で、学校紹介、通信課程の勉強のシステムについて、相談室のことなど順々に説明を聞いていった中で、ある先生が仰った言葉が印象的だった。
「決して急ぐ必要はありません。ここでじっくり人生を建て直してくれたらいいと思います。」
W学やN学園と違って都立高校なので試験がある。倍率は例年1.5倍から2倍といったところらしい。ご縁があるといいのだが。


近況を少し

先週金曜日、高校時代の友人の飲み会に誘われ、新宿に行ってきた。卒業後初めて会う人もいて、懐かしかった。
ちょっと前に中野サンプラザで同窓会があって恩師とも会ったのだがあれからもう10年くらい経ってしまっているらしい。そんな前だっけ、と驚くが、末娘がまだ2歳か3歳だったように記憶しているのでやっぱり10年くらい前なのだ。
引きこもり中娘はすっかり昼夜逆転してしまっている。人が起きて動いている時間帯に起きていることがいやなのだそうだ。だから人が寝ている誰も居ない時間に起きて活動するのだと。しかし、彼女がごそごそ動くとせっかく眠っている私は目をさましてしまうこともしばしばだ。
そんな彼女が凝っているのはお菓子作り。
元々何かしら自分を表現したい人だから、何もしないで何も表現しないでいるのは辛いらしく、せめてお菓子を作るよ、ということらしい。
最初にチョコレートケーキを作って失敗したあと、家人の誕生日のためにスポンジを焼いてデコレーションケーキを作った。
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その後紅茶ケーキを作り、
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マカロンにも挑戦。マカロンはさすがに難しく、不格好な出来だけど、味は悪くない。
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バレンタインのお菓子を作って、お世話になった高校の先生やお友達に配るという。月曜日に学校に行って、学校をやめる相談もするそうだ。
上娘は相変わらず何かを制作している。この間イベントがあったのでもうしばらく暇になるのかと思ったら全然そうではなくて、やっぱり何か制作している。趣味性が高いものなので、その筋の人じゃ無いと見せられるものではないようで、彼女の作品を私は一切見たことがない。イラストの仕事もほそぼそとしているけれど、全く商業ベースには乗っていないので、お金にならない仕事ばかりしていると言ってしまえばそれまでだが、続けていればそのうち芽が出るのかも知れないと思って見守っている。
息子の方は相変わらず語学の勉強だけは熱心なので、転学部試験を受けようかということになり、お金を払って試験の申し込みをしたのにもかかわらず、結局受けなかった。単位が足りず留年(正確には留年とは言わないらしいけど)決定だからなのか、よくわからない。
家人は、彼は自分が傷つくのを恐れ過ぎている、と言う。今どきの学生はみなそういう傾向にあるけれどね、と。しかし、二十歳すぎた子に親が何を言うでもないと思って放っているところ。(あ、でもお金がかかるのは痛い。)
末娘は今のところ一番ノーマルだ。体育会系の部活をやって勉強もそこそこやって、学校にも休まず通っているなんて、うちの子じゃないみたいだ(笑)。
沢山のお友達からバレンタインのお菓子をもらったので、今日はマーブルチョコマフィンとテリーヌショコラを作るのを手伝わされた。
まあまあうまく出来て良かったよ。
{img:150215marblechococake.jpg}


高校の面談

年明け一日登校したきり、全く学校に行けなく(行かなく)なった中娘は、どうがんばっても出席日数が足りなくなり、留年か、転学(または編入学)かのどちらかしか道が無くなってしまった。
担任から連絡を受けて、担任、カウンセラー、親、本人の四者面談を行うことになり、昨日学校に行ってきた。
ちなみに、転学と編入学の違いはとの教育委員会のページにこのような説明があった。引用元はこちら
転学・・・高等学校に在籍のまま、引き続き他の高等学校の相当学年に移る場合年3回、各学期末(3月、8月、12月)に募集し、次の学期から転校することになります。ただし、12月は、最終学年の募集は、ほとんどありません。
編入学・・・高等学校に入学後、1学年以上の課程を修了し、一度退学した後に改めて2学年以上に入学する場合(ただし、専修学校や各種学校から高等学校への編入学はできません。)年1回、3月の募集のみに応募でき、4月から入学することになります。
面談に行く前は、とにかくもう学校に行かないのなら退学するのだろうと思っていたが、お話をしているうちに、在籍のまま移動先を考えて決まったところで手続きして転学する方がスムースです、間が空かない方が良い、と勧められた。