「 おけいこ日記 」一覧

4月8日:薄茶平点前、廻り花、唐物

前回透き木を使った炭手前をしたので、今日はほかのお弟子さんがする透き木炭手前をよーく見学して復習しようと思ったのに。私が休んでいる間に入門された男性Kさんの運びの薄茶点前を見て上げて!とU先輩からご下命が。。。まずあなたがお手本を見せて上げて、それからKさんのお点前を見てあげればいい、と。無理無理無理!!と思ったけど、断ることもできず、仕方が無いので六畳のお部屋でKさんを客として薄茶平点前でお茶一服差し上げた。それからKさんのお稽古スタート。うーむ。あまりにも一つ一つの動作がばらばらで、とにかく形だけ(形にもなってないんだが)真似して体を動かしているみたいな感じなので、割稽古からやり直させたくなる気持ちを抑えて(苦笑)順番を間違えそうになると少し注意して上げたり、どうしても気になるところは直したり、実際やってみせたりしながら一服お茶をいただく。初心者ってみんなこんなものだったんだろうか。今となってはもうわからないのだが。お稽古のひと手前が終わったあと、柄杓を構えるところだけ、割稽古してもらった。構える意味とか、構えるときの気持ちとか、形とか。私なりに説明して実際にやってみせながらやってもらったんだけど伝わったかな。人に教えるって難しいけど、ああ、私はこんな風に考えながらお点前してたんだ、と再発見するような気持ちになって、ちょっとだけ楽しかったかも。

広間では五事式のお稽古で廻り炭などしていて、KC先輩が六畳間のKさんの指導に入るかわりに私が広間に借り出され、久しぶりに廻り花のお稽古をさせてもらいました。たくさんお花があってどの花を入れても様になるので助かった。私は紫蘭を入れました。

廻り花が終わったら今度は小間に移動して、やっと代稽古のSさんの指導で落ち着いて唐物のお稽古。

来週は花月だそうだ。


4月1日:透木初炭、吉野棚濃茶・薄茶

2020年8月からお休みしていたお茶のお稽古を再開。

リハビリ初日。初炭手前は予想していたけれど、4月ということで透き木。以下参考書の写し。「釜に釻をかけて、釜敷きを出し、釜をあげたのち、右手で右の炉壇の透き木を取り、打ちかえして左の掌にのせ、ついで左の透き木を取って、そのまま左掌の右の方の透き木に重ね、それを右手で重ねたまま持って、左手に持たせて釻の下座に置きます。」五徳がないので、五徳の部分だけいつもの手順からはぶかれるけど、灰をまく順番等は全く同じ。炭をついで後掃きをして、香を焚いて香合を拝見に出したら、「体を左ななめに廻り、左手で透き木を取り、炉正面に向き直り、右手で二つ一緒に打ちかえして、右手でうえのほうを炉壇の右に置き、下の透き木を打ちかえして左に置きます。」後略

お棚は吉野棚が据えられており、まずは濃茶点前。仕覆は外したらそのままうち返さずに左手でかける。仕覆の底が見えるように?また確認しなくちゃ。

コロナの影響で、濃茶はまだ一人分だけ練る。少ない量で練るのは難しいかなと思ったけど、お客役の生徒さんが逆流性食道炎で濃茶飲めないというので、薄茶仕立てに。

薄茶の点前をしているとき、U先輩が途中から客に加わり、白湯の所望を弟弟子に進めるものだから、はじめて白湯を出すことに。まずは茶碗に湯を入れ建水にあけたら、一度茶巾で拭き、さらにもう一回お湯を入れてそのまま捨ててから、改めて客に出す用の湯を汲むのだそうだ。茶巾のにおいが消えるように、とのこと。初めて知ったわ。

帰宅後、すでに太ももやら臀部の筋肉痛。若い(違)


2月1回目のお稽古:大炉

久しぶりにお稽古日記。

大先生が施設にお入りになったため、代稽古の先生方の合議制でお教室が運営されるようになって1年近く。土曜日クラスを見て下さっていたK先生がご主人の介護のためお稽古をお休みすることになり、前回のお稽古から、大先生の先生(大師匠とでもお呼びすべきか)の直弟子にあたるW先生がご都合をつけて月に2回、1週目と3週目のお稽古に来てくださることになった。

大先生の先生、大師匠はものすごく厳しい方だったと伺っている。そのお弟子さんだからW先生もなかなか厳しいという噂だった。
が、昨日初めてお稽古を見て頂いて、私は自分の最初の師匠を思い出していた。お茶の先生としての空気感、緊張感、漂う気配とでもいうようなものが、最初の師匠にとても似ている。厳しいきりりとした言葉遣いまで(きついんだ、これが(笑))。

久々に、基本を直され、反省しきり。はっきり言って、大先生がお見えにならなくなって気が緩んでいたと思う。そんなときにW先生が来てくださるようになって、有り難いことだと思う。

昨日は、大炉の炉中を整える勉強を一からさせてもらってとても満足した。お釜の高さが若干足りなかったのは次回直すことにする。釜合わせは大炉に限らず難しいものだ。U先輩は、大先生宅から大量に運び込まれたお道具類から掛け軸を選び、いつもかかっていた軸をはずして掛けてくださった。お盆に柊と小枝と枡に入れたお豆をそえて床の間に飾る。お花はこちら。


初めての亭主

大先生のお稽古場をいったんやめるにあたって、日曜クラスのU先輩から、しばしのお別れに日曜クラスの初釜(飯後の茶事と同じような形式)の亭主をしないかと薦められていた。その初釜が昨日無事に終了した。

いつもの初釜は、U先輩がお料理から亭主から、お道具ももちろん、すべて整えてくださり、私は半東だったり水屋だったりしたのだが、今回は私が亭主ということで、お料理は一品は作った方がいいわね、と言われ、主菓子はお正月恒例の花びら餅と決まっていたので、薄茶用の干菓子を二品探してみる?と言われ。
はいはいと、すべてお言葉に従った結果、まずは京都鍵善良房から通販で和三盆糖の「鶴ト亀」さらに、1月7日に新宿高島屋、新宿伊勢丹、日本橋三越、日本橋屋長兵衛などをめぐって最終的に末富のお菓子をゲットすることができた。お料理一品は、ふだんお弁当でも作っている鶏の八幡巻きを作ることにして、ほかにも自主的に、お炭(増田屋さん)、抹茶(一保堂の亥昔)、お酒(神亀)も私の方で準備した。

手前が鶴ト亀、奥が冨久袋

さて、当日を迎えて、お客様は日曜クラスのお弟子さんなど6名様。
お茶事の始まりに行う、“亭主が蹲に桶でざぁーっと水をあけたあと、しおり戸を開けて一歩進み、無言のまま主客で礼をかわす”というのを是非やってみなさい、とU先輩に言われ、桶が無いのでバケツで蹲に水をざーっとそそぎ(案外水が散る)、しおり戸のつもりで玄関の引き戸(純和風家屋)を開けて、玄関ホール=寄り付きにいるお客様に恭しく無言でおじぎをした。しかし、お客様もほとんど初めてでよく意味がわからず、手がかりを残して戸を閉めて亭主の私が去っても、ずーっと寄り付きから動かない。あんまりお客様が来ないので、U先輩が水屋から寄り付きまで戻ってきて、座っているお弟子さんたちに「蹲を使って、さっさと席入り!」と一喝。こうして私の初めてのお茶事が始まったのだった。

席が定まって茶室が静かになったのを見計らって襖を開け、まずは御挨拶だ。「昨年急にお稽古をお休みせねばならなくなったので、しばしのお別れの御挨拶と今までの感謝の気持ちを込めて、今日は心を込めて亭主を務めさせて頂きます、云々。」
挨拶が済むと、寄り付きや庭、蹲、お床などについて問答がある。早速、正客から、寄り付きの汲みだし茶碗は?と質問されしどろもどろなワタクシ。朝、U先輩から、汲みだし茶碗はエゴウライよ、と教わっていたのに、本番で緊張している私は、エ、エ、エ、までしか出てこない。結局「えーっとすみません、ど忘れしました(^_^;)」と言って勘弁してもらう(失敗その一)。お床の説明はかなり詳しく勉強していったので何とかなった。卓飾りもとても絵になっていて、お客様一同とても喜んでくださる。

砂張の花入れは、箱にわざわざ「卓下」と書かれている
だけのことはある絶妙なサイズ。花は本阿弥椿と柳。

炉の茶事はお食事の前に初炭手前を行う。
昨年から、長板総荘りで行うと言われていたので、12月から特別に長板で炭手前や濃茶手前のお稽古していたのだが、初釜二日前に、長板から高麗棚に変わったからよろしくねー!とU先輩に言われたものだからさあ大変。前日の道具出しに参加させてもらって、初めて高麗棚(高麗台子)を拝見し、一夜漬けのにわか勉強で臨んだ初炭手前。台子のお点前は元々苦手というか、めったにしたことがなく、不安材料だったところ、案の定、ふだんの炭手前とお茶事の炭手前の違いでもある、最後に棗を持って出て台子の上に置き、釜の蓋を清めて切るという一連の動作をすっかりすっぽり忘れてしまったのだった。(失敗その2)

黒の高麗台子に映える白の皆具。紀宮親王のお印ヒツジグサの意匠だそうです。

お祝い膳はほとんど水屋の方(日曜クラスのお弟子さん)とU先輩で準備してくださったので、私は運ぶだけ。お雑煮のお餅がなかなかやわらかくならず、U先輩に、ちょっとおしゃべりして間を持たせて!と言われてまた茶室に戻って、八幡巻きは私が作りましたとお話すると、デパ地下で買ってきた物かと思った、と驚いてくれて、みんな優しい(^_^;)。

お菓子は銘々皿でお出しし、中立へ。(そこで初めて炭手前の失敗に気付く。)
棗と茶入を荘り、濃茶の支度を調える。

記録が途中ですが、とりあえずアップしておきます。

平成三十一年一月十三日 初釜 会記
掛け軸 のどけさや むかふ日ごとの朝かすみ みどりそひゆく 春のやまのは
     内大臣家煕(近衞家煕) 懐紙書き
卓飾り 卓 桑子卓
    香炉 萩焼
    花入れ 砂張
    花  本阿弥 柳
釜   常什(裏鏊釜)
炉縁  松島蒔絵
棚   高麗台子
皆具  ヒツジグサ 大倉陶園
茶入  瀬戸 芋の子(江戸中期ごろ?) 鵬雲斎箱
棗   宝尽蒔絵平 鵬雲斎在判 雅峰造
茶杓  歌銘 若恵比寿 淡々斎作
     「釣り上げし鯛を魚の福の神 えびす顔こそ 見まくほしけれ」
主茶碗 赤楽 嶋台
薄茶碗 紅白梅図 茜窯
主菓子器 塗銘々皿 治兵衛造
主菓子 花びら餅 亀屋万年堂
干菓子 鶴ト亀 鍵善良房
    冨久袋 末富
    辻占  森八
炭道具 炭斗  菜籠(唐物)
    羽   犬ワシ
    釻   ネジ 与斎造
    火箸  砂張 淡々斎箱
    灰器  焼貫 惺入
    灰匙  少庵好 南鐐 浄益造
    香合  面箱 鈍阿造
その他 燗鍋  五郎左衛門造(享保年間)


6月のお稽古:香付花月

6月の土曜クラスは、9日、16日、23日の三回だったのだが、9日は、裏千家淡交会の東京地区大会で、準教授、茶名拝受者と新入会員のつどい、というのに参加したためお稽古は欠席。
つどいは、ホテルニューオータニで午後2時から行われた。鶴の間を半分に仕切った西側に約1000名近い同門社中の方々が集まって大変壮観でありました。前半30分は中島宗基業躰の講義(柄杓の扱いなど)。後半は当代お家元のお話。お家元は、身の丈にあったお茶を、というお話しをしてくださった。昨今のお道具至上主義に異議を唱える内容だったので、大変勇気づけられた。
最後に準教授、茶名拝受者から代表の方のお礼の言葉に、新入会員代表の誓いの言葉で会は終了。
この日のために、単衣の紋付き色無地を仕立てたのを着て、髪の毛はニューオータニの美容室でアップしてもらって、ずいぶん気張りました。

ホテルの日本庭園にて。ぐずぐず着付けが残念!

翌日の10日日曜日は日曜クラスに朝から出席した。地区大会のチケットは、大先生に内緒でU先輩にとって頂いたので早速いただいた記念品をお見せして、ご報告。無事と書かれた寿扇をお見せすると、扇かけを持ってくればよかったととっても残念がっていらした。寄りつきなどに飾れるいい記念品ですね、と言われる。
お恵子は、台天目、唐物、など濃茶点前ばかりだった。

19日のお稽古は、中娘の成人式後撮りがあったため、9日に引き続き欠席。今回は大先生にお葉書で欠席をお知らせしておいた。

23日のお稽古は花月発表会に向けて、香付花月のお稽古。8畳のお部屋は使わせていただけず、6畳のお部屋にてお稽古。すると、大先生がお一人で、広間で薄茶点前を始められ、みな目が釘付けに!
大先生のテーブルお点前は完璧で、全く形がくずれておらず、静かで美しい。大先生の周りだけ普段の空気と全く違ってしまっている。ぽっかりと異次元が出現したかのごとく。流れるような所作、静謐ということばがぴったりくるような静けさに、本当に心から驚いた。
テーブルのお点前なんて、形が崩れるだけ、なんて文句を言ってはいけないのね、と先輩方。でも、あれは畳でのお稽古を死ぬほど重ねてきた人だけができるお点前なんだろうと思う。
自分たちのお稽古そっちのけで、この日は大先生のお点前を拝見できただけで充分満足したのだった。
昼食後お片付け、灰型は別の人がお稽古したので、私は、香盆の扱い、お香の焚き方などを代稽古のNgさんに教えていただいた。聞香炉を買ったので家でもお稽古しようと思う。


5月のお稽古:茶通箱、灰形、花月

お茶会があったため、土曜クラスは19日と26日の2回。
茶会直後の土曜クラス19日には、大先生が先日のお茶会がとても大変で、倒れてしまいそうなので、これからやり方を変える、とおっしゃって、ご自分が選んだ弟子2名を茶室(小間)に呼び、その人だけお稽古をつける、という方式似することになったそうだ。栄えある第一回目に選ばれた弟子は、日頃からとても大先生に愛されている男性のTさんと、もう一人は、なんと私。Tさんはもともととても大事にされていたので当然の人選だと思うが、私はお茶会の礼状が素晴らしかった、だから引き上げてあげる、というのがその理由。
大先生がいらっしゃるまで広間で先輩方と濃茶付き花月をお稽古していたけれど、大先生ご登場で、私は小間へ移動。まずTさんの薄茶平手前を拝見させていただく。続いて、私が薄茶平手前を見ていただく。
畳のお点前でとても気持ちが良かったが、なんとも初めてのことで、大変緊張したのも確か。大先生はとにかく私の手紙が立派だったと褒めてくださるのだが、それがかえって悲しいというか申し訳ない気持ちにさせられた。だって、本当のことは書けなかったわけだから。。。
そのあとは、茶通箱のお稽古。昼食後灰型のお勉強も。

5月20日日曜クラス 今月も午後から出席させてもらった。お点前はまず薄茶点前でみなさんにお茶をさしあげ、そのあと、前日の復習をかねて茶通箱のお稽古など。

26日土曜クラス 濃茶付き花月、壷の紐結び、灰型。大先生はこの日もお昼を召し上がらず11時にお帰りになる。


2018初夏の懇親茶会

5月13日日曜日はお茶会だった。数日前に、お茶会は着物ではなく洋服で令が大先生より発せられ、だれもがやる気を失ったお茶会。。。理由は、お茶会の設え、道具の準備、人事のこと、お片付けのことなどすべてやるととても大変、これ以上大先生は頑張れないからお洋服にした、というもの。大先生がお疲れになるからお着物ではなくお洋服というのならわかる。弟子としても全く文句はない。が、お茶会の亭主、半東、後見もすべて洋服とはいかがなものだろうか。お客様にもすぐに連絡をしたようで、お着物の方が少なく、お道具ばかりが立派なお茶会だった。お道具が近来まれに見るほどすばらしかっただけに、本当に残念なお茶会だった。

薄茶席(広間席)

床  柳緑花紅 孤篷庵 小堀卓巖(たくがん)和尚
花入 筆立て花入れ 大先生作
花  京鹿の子、時計草
香合 桧扇貝 フロリダ
風炉 方円風炉 山崎宗玄二代 大宗匠箱
釜  遠山 寒薙作
風炉先 網代
水指 金襴手 永寿作
薄器 不見斎好み 独楽 蓋裏に青楓 中村湖彩
   山中塗り
棗  花つなぎ長棗 谷内紫香(やちしこう)作 
   輪島塗
茶杓 長谷川寛州老師作 
    歌銘 滝の音は絶えて久しくなりぬれど名こそ流れてなほ聞こえけれ
   大先生作 ご主人命銘 茶の心
茶碗 瑠璃色、波紋 染め付け? 大先生の先生との思い出の品
 替 ガラス製
蓋置 ナプキンリング ニューヨーク土産
建水 吉野鮓桶
水次 みる波(海松波)
菓子器 山道盆 黒 認得斎好 赤 淡々斎好
菓子 かきつばた(栄泉造)
莨盆 松花堂好み
火入 織部薬 加藤十右衛門

終わって、大先生にお礼の手紙を書くのにとても苦労した。先輩はお洋服だったことについて意見を書く!とおっしゃっていたけれど、私は書けず、結局良かったことと御礼しか書けなかった。