「 こそだて日記 」一覧

中学校の合唱コンクールのち永青文庫

末娘中学の合唱コンクールが、区の文化センター大ホールで行われた。昨年ははずせない仕事があって行けなかったので今年はしっかり休みを取って行ってきた。着物着て(暑かった)。
1年生6クラスと2年生の5クラスの合唱(課題曲と自由曲それぞれ2曲ずつ)を聞いてきた。
クラスに一人、二人歌の上手な子がいると、全体のレベルが上がるようだった。おそらくその子が音程をリードして取るせいかな、引っ張る子がだれもいないクラスの合唱は、どことなく音程が狂っているので、聞いていてちょっと気持ち悪い。(私は絶対音感の持ち主でもないのに、微妙に音程が違う音が重なって響くのが気持ち悪く感じられるのだ。)合唱で音が揃うって本当に難しいことなのだろうな、とは思うが。
ピアノの音を聞くのも楽しみの一つ。ピアノの独奏でなく伴奏であることがきちんと分かって演奏している子は少ない。課題曲と自由曲それぞれ違う子が伴奏するので、都合22人の子のピアノを聞いたわけだけれど、ピアノ演奏としても伴奏としても優れていたのは二人だけだった。
指揮は、ただ腕を振るだけでなく、それぞれ中心となるパートに注意を喚起するとか、強弱をつけるとか、もっとみんな勉強&練習したらいいと思うんだけど、末娘に聞くと、そんな余裕はないよ、3年生はちょっとやってたけど、という答えだった。音楽教師がどれくらい各学年、各クラスの指導に入っているのだろう。末娘の話を聞く限りでは、放課後などの練習はすべて生徒だけのようであったが。
合唱コンクールって、音楽教育の一環じゃないのかな?運動会とかそういう「集団活動教育」(?)の延長なのかな。
午後から3年生の演奏だったけどそれはパスして、今度は上娘と一緒に目白台の永青文庫へ。今話題の春画展の鑑賞へ。
護国寺駅から歩いて行く。お客は年輩の人が多く、どこからこれだけの人が涌いてきたんだ?っていうぐらい混雑していた。土日はもっとすごいらしいが。
上娘が言うには、画力は北斎が一番。人間の体を性格に描くのは難しく、それを描けて尚あのようにデフォルメして描くのは相当技量の要ることだと。それと、後ろの方になにげに描き込まれてる犬とか、めっちゃうまい!とも。それは私も思った。さすが日本画の世界だ。
面白かった。展示内容の入れ替えがあるので、また行ってもいいな。今度はnoripと行くかな。


今日も疲れた保護者活動

PTA活動とか、部活保護者活動とか、様々な保護者さんたちとおつきあいする機会が増えた今日この頃。
私は回りに比べて妙に年だけ取っているので、なるべく妥協点を見つけて、それなりに正しいと思われる方向、より子どものためになる方向、より親が楽に楽しくなる方向に持っていこうと努力してしまうわけだが(貧乏性ゆえ)、それでもときどき疲れるんだよ。今日は特に疲れた。
たかが、部活保護者の活動に、こんなに努力しなくても良いじゃないかと投げ出したくなったりする。
様々な価値観、というより、様々なものの感じ方、感覚、感情というものがあって、それが同じ話を聞いても違う解釈となって、後々混乱を招く。
感情で物事をつかまないでほしい、冷静に事実関係を見てほしいと思っても、他人にそんなこと求めるわけにもいかない。
そこで上記に戻って妥協点を見つけるべく動き始めて疲れて以下リフレイン。
それにしても、世の中ってほんっとーーーーに、いろんな人から成り立っているんだなー。
人生いつまで経っても修行だ。


合宿付き添い

4番目にしてはじめて体育会系部活子どものサポートをし始め、なんと、バスケットボール部の合宿付き添いにこのワタクシが。
バスで5時間半。長野県下伊那郡阿南町というところに来ています。
合同合宿で、広い体育館に小学生から中学生までの子供たち200人強が一斉にトレーニングをするのは壮観だ。
末娘は折悪しく骨折のため、まだ右手でドリブルをしたり、対人接触のあるプレイはできない。自分ができるトレーニングには参加し、それ以外は、見学をしている。
骨折さえしなければ思い切りトレーニングできたのにね。それが残念だけど、それでもこの合宿に来て良かったなと思える4日間(!)にしてほしい。


8月6日に

お昼頃息子から電話。
息子 今日、広島に原爆が落ちて70年なんだって?
私 そうよ。
息子 おばあちゃん、どれくらいの場所にいたの。爆心地から。
私 1.2キロ。
息子 それって近いの?遠いの?
私 かなり近い。外にいたら死んでたかも。家の中にいたから助かった。
息子 そうか。おばあちゃんが死んでたら僕も今いなかった。おばあちゃんが生きててよかった。
私 そうだね。
息子 ちょっと思ったから電話した。それだけ。
という会話を交わした。
自分が生き残ったことに生涯罪の意識を抱き続けた母だったが(亡くなった後に知った)、孫はこんな風に思っているんだよ。
この言葉、母に届いているといいな。


うちの子はなぜ朝起きないのか(超愚痴)

上娘は仕事の関係らしいが、ほとんど昼夜逆転生活で、ここ数年朝ごはんを一緒に食べたことがない。
息子は中学までは朝型だったのに、高校1年生で病気が発覚して以来、薬のせいもあって朝がすっかり弱くなってしまった。
中娘は不登校で朝起きない生活が続き、通信制に入ったらますますその生活に磨きがかかってしまった。
末娘は健康に問題はないのに、上を見て育っているせいか、何も言わないと昼まで惰眠をむさぼる子になってしまった。
中学生@末娘は義務教育期間だから学校に行かせなければ、と思い、起こしてやっている。(除く夏休み)
息子はもう二十歳も過ぎて自分のことは自分で責任を持たなければいけない。しかし、病気のせいもあるので少々大目に見てやって、頼まれれば朝起こしてやっている。
そして今朝。
会社に着くと、今朝に限ってなぜ起こさなかったと息子から電話がきた。
その時間はもうすでに必修科目○○のテストが始まってる時間らしい。通学時間は約2時間。間に合うわけがない。
起こす必要があるなら前の晩に言え、と伝えてあったはずなのに。
昨夜は何も言われなかったし、本当はいちいち子供を起こすために二階に上がるのだって忌々しくて嫌なのに。
なんで私は息子からこんな電話を受けなければいけないんだ。
私に電話する暇があるくらいならさっさと家を出て学校に向かえ!!
朝誰も自力で起きてこない生活、もう耐えられん!!
もういやだ!!!
もう私は誰も起こさない。勝手にしろ!!
と叫びたい。
ああ、でも息子は自己評価が低い子だから、・・・起きられない→試験受けられなかった→単位落とした→やっぱり自分はダメだ・・・の負の無限ループにはまり込むかもしれない。
そのことを考えると心配で、でも二十歳過ぎた息子を心配するような自分がまたまた情けなくて、ますます憂鬱になる。
泣きたい。


無事退院

朝一番でレントゲンをとり、外来で傷の具合を見てもらって退院の許可をもらった末娘さん。
家に帰って最初に牛丼(昨晩の残り)を食べて嬉し泣きしてました。
病院のごはんだってまずくはないけど、量は少ないしやっぱり家のご飯がいいみたい。
晩ご飯はもちろん彼女のリクエスト献立で、棒々鶏。
餃子も焼いて添えました。
やっぱりおうちがいいね。


末娘の手術

昨日は初めて病院で一泊した末娘さん。私は今日は会社を休み、末娘からリクエストされていた本とiPodとヘッドホンを持って病院へ向かった。
10時ごろに病室に到着すると本人不在。しばらくすると本人が点滴棒をもって看護師さんと一緒に病室に戻ってきた。血管がよく見えないので手首のあたりに点滴針を刺したとのこと。何しろ真っ黒に日焼けしてるからねw。
そして、昨日は末娘一人だった病室は、なぜか白内障手術の患者さん(おばあさんたち)3人が入室しいきなりにぎやかになった。
午前中は特にすることもないのでのんびりしていると、お昼過ぎに「午後2時からオペになりました」と看護師さんから連絡が入った。ベッドで手術着に着替える。
1時50分に点滴棒を引っ張りながら、看護師さんと歩いて手術室に向かう。まずは小児科病棟のナースステーションで本人確認、次に2階にある手術室手前のお部屋でもう一度本人確認。しつこいくらい本人確認をするのだそうだ。そして、どこを手術するのかも本人に確認する。右腕です、と答える。
誰から聞いたのか、手術室担当の看護師さんたちは末娘が音楽を聴くのが好きなのを知っていて、「音楽かけてみたんですけど、気に入るといいなーと思って。聞いてみて下さい!」と話しかけてくれる。何て親切なんだ!
ヒップホップ系の音楽らしいけど、私は聞くことができない。本人確認が済めば、そこで末娘と別れて私は小児病棟の待合室で手術が終わるまで待つのだった。
手術室エリアを出るとき主治医のT先生も「大丈夫ですから!」というような言葉をかけて下さる。そんなに心配そうな顔をしてたのかな、私(苦笑)。
そして待つこと2時間。無事に手術が終わり、呼びに来てくれた看護師さんと一緒にまた手術室エリアに向かう。が、エレベーターを降りるとなんとそこにはもう末娘のベッドを主治医T先生自らが押してエレベーターが来るのを待っているではないか!
一緒に3階に戻り、末娘を病室(白内障患者部屋から別の二人部屋に移動になった)に送ると、看護師さんたちが血圧を測ったり体温を測ったり点滴を直したりという処置をしている間、私はT先生に連れられてナースステーションへ。そこで術前の写真と術後の写真を並べて見せてもらいながら手術の報告説明を受けた。
今どきは本当に便利になったものだ。レントゲン写真もデジタルだから、撮ったらすぐ院内のどのパソコンからでも閲覧できる。(もちろんID管理はしてるでしょうけど。)
それにしてもbefore afterの写真のすごいこと。折れた骨の写真は何度見ても衝撃的だけれど、金属に支えられて骨がまっすぐになり都合6本のボルトでしっかり固定されている図もなかなか衝撃的だった。
ほぼ理想通りの手術ができたようで、なんだかT先生も誇らしげ。私も本当にほっとした。
病室に戻って1時間ほどすると、麻酔から完全にはさめていないせいでむっつりしていた末娘の表情もだんだんともとに戻り、軽口もたたけるようになってきた。それでもときどき傷が痛むようで、辛そうではあったけれど。
結局面会時間ぎりぎり8時まで病室にいて、自転車で帰宅。雨がひどくなる前に家に帰ることができた。
術後の様子が心配なので、もう一日会社を休んで付き添おうと思う。