「 こそだて日記 」一覧

19歳の初選挙

昨日は、選挙権が18歳に引き下げられて最初の選挙。街にポスターが張り出された頃に、中娘が、誰かのポスターに“核武装実現”って書いてあってビックリした!そんな人がいるなんて!!とものすごく驚いていた。
世の中にはいろんな主張の人がいるんだよね。

だれに投票するか、どの党に投票するか、すごく考えて、でも知識が足りないから、ポスターや選挙公報を見て分からない言葉があると、○○ってなあに?と誰彼構わずに聞いてきたり。
なので、私は毎日新聞のえらぼーとを教えてあげたりした。
しかし、えらぼーとの質問に出てくる種々の言葉がまた分からないのだ。またしても、新聞を調べたり、インターネットで調べたり、人に聞いたりする中娘さん。
そんなことをしているうちに、徐々に考えがまとまってきたようだった。

そして迎えた投票日。私は出勤だったので、一緒に行くことはできなかったが、中娘は一人で投票所に行ったらしい。(上娘は期日前投票を済ませており、息子は昼間はオープンキャンパスに出かけていたのでそれぞれ単独で行ったようだ。)

夕食を済ませ夜8時を回った頃から、インターネットのNHK選挙速報をずーっと付けっぱなしにして、自分が投票した候補が当選するかどうか、そして、東京以外の選挙区についてもずいぶんと熱心に見ているので驚いてしまった。
そして、投票前はえらぼーとの言ってること良く分かんなかったけど、投票した後は少しは調べて勉強したからもう一回やってみたら、○○と▽▽に近い、という結果が出て、なんか合ってたー、と報告してくれた。

今朝の私のメール。上娘、中娘へ、
○○さん競り勝って良かったね。中娘ちゃんは初投票、行った甲斐がありましたね。これからは、投票した人がどういう仕事をしていくか、あるいは、自分が投票したくない奴ら人たちがどういう動きをしていくのか、しっかり監視をする義務を負いました。
がんばろう、私も。

上娘の返信
中娘さんへ
自民党の憲法草案ってどんな内容? 何が消えて、何が加わるのか一目でわかる
https://www.buzzfeed.com/kotahatachi/kaiken-jimin-souan?utm_term=.fxLj0Wx3p

中娘の返信
初めてにしては色々調べたり聞いたり考えたりして、割と良い選択・投票が出来たように思います。○○さんの当選があって初めて言えることだけども(何だか恩人みたいな気持ちさえ芽生えてきた)。
これからはお母さんの言うように自分の義務も考えながら、政治的なことにも関心を向けて、大事なことをちゃんと見極められる賢い国民でありたいものです。



モンテジア骨折その後

昨年6月、末娘がモンテジア骨折を起こした。twitterではつぶやいていたが、日記には残していなかった。
骨折の顛末がわかるものとしては、骨折当日、病院から家族に送ったメールがあった。6月22日午後3時3分送信となっている。
体育授業中高跳びの着地失敗で、右モンテジア骨折です。トウコツ脱臼、シャッコツ骨折。
養護教諭が最初に接骨院なんかにつれていきやがったので(失礼!)痛みが増したようです、接骨院がギブアップしたのでやっと病院へ。J天に断られてN.Hが丘病院へ。名医(に見えた)に巡りあい、脱臼はなおりましたが、骨折は要手術なので入院、明日手術となりました。
パジャマとタオルセットで一日400円をとりあえず借りることにしました。前開きのがないので。
今は明日の手術に向けて採血等検査に回っています。
入院は一週間くらいだそうです。

学校の対応があまりにひどかった(養護教諭の対応は上に書いた通りだし、体育教師からかかってきた電話で語られた「その時の状況」は末娘の報告と全く異なっていた!)ので、退院後初登校日に、担任その他教員宛てに書いた手紙を持たせたのがこちら。(氏名等はイニシャルなどに変更してありますがそれ以外はそのままです)
2年4組S先生
2年生のすべての教科の先生方へ
いつも末娘がお世話になりましてありがとうございます。
末娘の状況をお伝えします。
末娘は6月22日の体育の時間、高跳びの着地に失敗し、安全マットの真ん中に右手からしずみこんだ結果、不自然に体重がかかったらしく、右肘橈骨の脱臼と尺骨の骨折を同時に起こしました(モンテジア骨折)。
N.Hが丘病院整形外科において、脱臼はその日に整復、骨折は翌23日に金属プレートを入れる手術を行いました。
手術翌日24日より、右手指を動かすリハビリを始め、退院日の30日には初めて肘を動かすリハビリもスタートしました。
手術後からずっとシーネで固定して三角巾で腕をつった状態です。外出時はしばらく三角巾をはずさないようにと指導されています。
今後の予定ですが、
今週金曜日(7月3日)午後4時にリハビリの予約が入っています。
来週水曜日(7月8日)は朝8時半より整形外科の外来とリハビリの予約が入っておりますので、学校には病院が終わり次第登校させます。
少なくとも最初の外来日(7月8日)までは、走るなどの運動も控え、せいぜい歩く程度と言われておりますので、体育の授業はしばらく見学とさせていただきます。
予定では、7月8日からはシーネをはずしてもよくなるはずですが、それも診察してもらってから決まると思われます。
今現在、鉛筆はまだうまく扱えません。入院中に左手でものを書く練習はかなりしたのですが、授業中の筆記には、まだスピードが追いつかない可能性があります。その点だけ、ご理解願いたいと存じます。
しばらく不自由が続きますが、リハビリに励み一日も早く通常の生活に戻れるよう努力いたしますので、何卒よろしくお願いいたします。
2015年7月1日
末娘母
minaho

その後8月いっぱい、リハビリに通い、その後も月に一回の通院を経て、徐々に骨もつながり始める。
9月に取った写真ではこんな感じ。小さくてわかりにくいが、折れたところがまだわかるくらい。
{img:dvc00511.jpg}
その後の写真は無いが、12月にはほとんど継ぎ目がわからなくなるくらいよく治り、プレートをいつ外すかの相談なども始めた。
バスケ部をやめたのでいつでも大丈夫だったが、後のことを考えて3月春休みに、ということになったが、通っている塾の春期講習があるので前倒して、卒業式前に入院してしまえ!となって(卒業式の練習と本番をお休みできる!ラッキー!(違))、一昨日入院、昨日手術と相成った。
無事手術は終わり、プレートとねじは記念にくださった。当日付添いした家人がLINEで送ってきた写真がこちら。
{img:1751.jpg}
写真に添えて、家人が「末娘はサイボーグだったんだね」とつぶやくと、息子が末娘の名前をもじって「ノイボーグ」と返す。
平和だ~。


塾のオリエンテーション

末娘が通っているK塾では3月から中学3年生のコースがスタートする。今日はそれに先だって生徒向けのオリエンテーションがあった。(親への説明会は先月開催されて、私が出席済み)
話された内容は親の説明会とほぼ同じものだ。
たとえば、何があっても絶対塾を休むな(親には「休ませるな」)、とか、志望校は行けるところではなく行きたいところにしろ(親にも同じように言ってた)、とか、勉強しない事への言い訳をするな(親には「させるな」)、とか。そんなこと。
私は塾の先生方もご苦労なことだ、そこまでがんばらなくてもいいのに、くらいにしか感じなかったのだが、今日それを聞いてきた末娘は、帰宅するなり、なんでそんなに塾の言いなりにならなくないけないのよ!とご立腹だった。
塾に言われた通りにやるのではなく、自分が塾を利用するつもりで自分で考えて自分なりに勉強すれば、先生が何を言おうと腹も立たなくなるだろうが、まだそこまで高校受験勉強に主体的に向き合っているはずもなく。
末娘「もう!めんどくさい!高校なんて行きたくない!」
親「じゃ、高校行かなくて中学卒業してそのあとどうする?」
末娘「死ぬ!」
と、いかにも中学生らしい会話が繰り広げられるのであった(^_^;)
しかし塾も、ただ檄を飛ばすのではなく、もう少し生徒に主体的に考えさせるようなことを言ってくれるといいのに。
・・・あ、でも、たとえそうした言葉も述べていたとしても、その部分はなぜかスルーして、ただひたすら自分にとって聞きたくない言葉(=向き合いたくない現実(?))にだけ反応してここぞとばかり不平不満を述べているだけなのかも。中学生だから(笑)。
これから1年間“やらされてる感”ばかりがふくれあがらないように、どこかで自覚が出てくることを祈るばかりなのだが、本当のところ、親はどうしたら一番いいのだろう。
子どもの高校受験はこれで4.5回目(0.5回目は転入試験)だけど、本人の自覚を促すのは本当に難しい。馬を水辺に連れて行くことはできても水を飲ませることはできないのだ。
せいぜい水を飲みたくなるような水辺を見せてやること、なのか?
それってどんな水辺なんだ?一体??


ギター買った末娘

{img:dvc00009.jpg}
部活をやめた末娘さんがギターをやりたいと言い出して早1か月。ついに今日、近所のギター教室の体験クラスに行き、先生に1時間ほどレッスンしてもらった!ギター購入に関してもアドバイスをもらったので、その足で池袋の石橋楽器と、池部楽器が経営している渋谷のハートマンギターズへ。結局専門店でギターに実際に触らせてくれたハートマンギターズでYAMAHAのエレアコを購入した(色はナチュラル)。
写真はその帰り道。
体験クラスでは、なるほど、全くの初心者をこんな風に導入していくのかと感じさせる興味深い内容だった。この先生に教われば、1年もしたら楽しく弾けるようになるんじゃないかな。私としては、音楽仲間を早く見つけてほしいな、と思う。高校に行ったら軽音部にでも入ればいいな。(5万円もしたんだから(お年玉貯金から購入)、長続きさせろよ!)


区立美術館へ(書き初め展)

末娘の書道作品が区の書き初め展に出品されたので、区立美術館まで見に行った。
美術館の周りに以前は無かった珍妙なオブジェが!
{img:160124daikonobje.jpg}
いくら区の名産品が大根だからってこれはないよーーーと言いつつ、美術館へ。
区内の全公立小中学校の作品が展示されている。中学校は、各学年4作品ずつ。さて、末娘のはどれでしょう?
{img:160124kakizome.jpg}
美術館を出ると、さきほどさんざん文句をつけたオブジェに子どもが乗って遊んでいるのを見て、中娘・末娘も乗ってみたよ。
{img:100124daikon.jpg}
この日記、写真だけ見ると、書き初めを見に行ったのか、大根オブジェに乗っかりに行ったのか、よくわからん日記になってしまった(笑)


末娘が部活をやめた

タイトル通り。12月17日に退部届(書式をググり、パソコンで退部届を作ってやったのは私だ)を顧問に正式に提出し、末娘は、女子バスケットボール部を退部した。
しょせん、我が家の子どもは体育会系にはなりきれなかったのだなあ。。。
6月22日に授業中の事故で右手をモンテジア骨折。プレートを入れ、骨がつながるのを待って運動が許されるようになったのが10月。やっと復帰できたと思って喜んで(かどうか知らないけど)練習に励んでいた11月4日、今度は右足首を捻挫し、医者に見せたら骨端線損傷なので松葉づえをつかなくてはいけない、もちろん運動なんてもってのほか!と診断された。松葉づえ生活は1か月に及んだ。
松葉づえになってしまったことを顧問に伝えたとき、「だって自爆だもん。ジャンプして着地するとき斜めになってあそこ(体育館の壁下の窓)に自分から激突したんですよ。まあゆっくり直してください。」と笑いながら言われたっけ。それを聞いていた末娘はべそをかいて、そしたら「泣いたって仕方ない」とバッサリ顧問に言われたんだったわ。
たぶんそのころから何かが切れてしまったんだろうな。怪我してもバスケを続けたい、怪我して練習ができなくても、チームのためになにか役に立ちたいという気持ちが、モンテジア骨折のときはあった。だからほとんど練習ができないにも関わらず、夏の合宿にも参加したのだったけれど、2度目の骨折で、顧問からは笑い飛ばされ、松葉づえの生活は思ったよりずっと大変でつらくて、一気にいろんなことが悲しくなってしまったのだ。
顧問は確かに厳しい。そのうち末娘は顧問ノイローゼ気味になってきた。怪我で練習ができなくても部活がある日はメンバーの練習は見学していたのに、それが苦痛になってきた。休みたいと伝えに行くと先生の前でなぜか泣いてしまう、ということが起きた。松葉づえが取れた後もまだ1か月は運動禁止と言われたことを伝えに行った時も、泣いてしまった。さらに顧問が怖くなった。そして、部活やめたい、と言い出すようになった。
私は末娘がバスケをしている姿が好きだったし、初めての体育会系部活母活動も楽しかった。だからなるべくなら辞めずに続けてほしかった。2週間か3週間ずっと話し合いを断続的につづけ、結局は末娘の「勝つためだけの練習がいやになった」という言葉が決め手になり、退部を引き留める努力を私はやめることにした。
今年の4月、女子バスケ界では有名らしいM先生が末娘中学に赴任。当然、女子バスケ部の顧問となり(実質的には6月からだったが)練習メニューもガラリと変わった。試合に勝つことが究極目的の練習と言われても仕方がないが、ほんとは違う。M先生は、一人一人が自分の目標に向かって自分が出来ることを自分なりに努力して練習を続けていく、そういう一人一人が集まるとすばらしいチームになる、と常日頃からおっしゃっている。そしてバスケ指導は人間教育、人としてどう生きるかを究極目的にしているのだ、とも。もちろん、やっていることはチームが勝つための指導をしているんだけれど、だけど、それは一人一人に目標と努力を求める指導をしているはずなのだ。
末娘にはそれが伝わりきらなかったのだ。いや、伝わってはいるけれど、それはすごく厳しくてよほどバスケが好きでないとできないことなのだと思う。
モンテジア骨折がある程度治って、練習ができるようになった直後の試合で、数分、末娘がコートに出してもらったことがあった。しかし、ずっと練習できていなかった末娘は何をどうしていいのかわからない。ほとんど立ち尽くすといってもいいような姿を目にしたとき、ほんの少しかわいそうだな、と思った。中学2年生は運動部の一番メインの年だ。その夏にほとんど練習できなかったら技量もなにも身につかないのは当然だろう。それに比べてチームメイトは試合の経験を着々と積み、バスケらしいバスケが少しずつできるようになっている。顧問に言わせれば、そうはいってもレベルは最低ライン、というところだろうが、末娘にすれば同じ2年生のチームメイトの中でなにもできない、どうしていいかわからない自分を意識せざるを得ない状況だったに違いない。だから頑張ろう、とは、今回ばかりはならなかった。そこまでして頑張ろうと思うほど、自分はバスケが好きかというと、そこまでは好きじゃない、という結論になった。
そういうことだ。
音楽の方面に進みたいというお友達の家に行って、バンドを組もうと盛り上がっている。お友達の家で触らせてもらったギターが気に入り(最初はベースかエレキに憧れていたけれど、触ってみたらアコギが良かったのだって)ギターがほしいと言い出した。
バスケをやめて、ほかにやりたいことを見つける!と本人が宣言した通り、やりたいことはギターになったらしい。
しかしなぁ。家でも弾けるようにサイレントギターがほしいなんて言うけど、高いんだよなー、楽器って。
困ったなー。