「 つぶやき日記 」一覧

昨日の陽気であっという間に桜が開花。
石神井川沿いの桜も。
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きもの2パターン

久しぶりにきものの記録。
8年くらい前にヤフオクで落とした着物、タンスの中で眠っていましたが、昨年のクリスマスにやっと仕立て直して着られるようになりました。
ターコイズブルーの鮫小紋で、縫い一つ紋が入っています。古い生地なので、実は若干ヤケがあって、左右の身頃に微妙な色の違いがあったのですが、洗い張りして仕立て直したら、少し(かなり?)わかりにくくなりました。
初日は黒い帯で。
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今日は銀の帯で。
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帯揚げは、銀座きもの青木の正絹無地縮緬帯揚げ3枚セットで、黒の帯には「退紅」、銀の帯には「瓶覗」を合わせてみました。もう一枚は「薄香」が欲しかったのですが売り切れ中だったの、第四希望の「鳥の子」が送られてきました。鳥の子もなかなか使い勝手がよさそうです。次回試してみたいなぁ。
お茶席で活躍しそうな着物と帯揚げが増えて嬉しいです。


PTA仕事

末娘の中学校入学式の後でじゃんけんに負け抜いてPTAの役員選出委員になってしまったことは書いたっけ。
とにかく。昨今は誰もPTA役員をやりたがらないので、末娘中学では、わざわざを役員を選出する委員会というのを作って役員を選んでいる。私はその役選委員会の副委員長になった。たまたま委員長さんが、いつもお世話になってるおそば屋さんのお嫁さんで、あらま、世間は狭い、って感じだったんだけど、それはさておき。
6月に第一回委員会を開いて、昨年の資料などを参考に今年の活動計画を立てたのだが、その日、PTA会長さんが、折り入ってお話ししたいことがあると、直々にいらして話されたことには、校長から個人情報保護法のからみがあるのでPTAは保護者に入会同意書を取って欲しいと依頼があったとのこと。
もし同意書を取るとなると、役選のスケジュールが変わるかも知れないし、退会者が増えたらどうなるかもまだ見えない、とかそんな話があったので、いったん、決まりかかっていたスケジュールを白紙に戻して、同意書を取ったあとで、入会同意した人を対象に活動を仕切り直す、と決まったものの、その後の運営委員会(PTAの実質的決議機関ね)で大もめにもめて、もう一度各委員会に持ち帰って、会員に入退会の意思を問う是非について話し合いをすることになってしまった。
PTAはもともと任意団体だし、入退会は保護者の意志に任されているはず。なのに、なぜか入学したとたんにあなたはPTA会員ですよ、さあ委員を決めましょう、と言われ、各種委員が決まらないと記念撮影ができず、延々と体育館に閉じ込められる。
そんなことをすること自体が、基本的人権の侵害なのに(ほかにも個人情報保護法にも触れる行為が横行してるし、結社の自由も侵されているぞ。要するに憲法違反なのだ)、PTAが無くなったら困るでしょ!とか、退会なんて書いたらみんな退会しちゃうからダメだ!とか、そんなことを言う人が必ずいるのだ。
今日はお茶のお稽古を早退して、3時から中学校で第二回役選委員会。
私がやるからには、PTAを入退会自由な本来の形に戻すつもりで活動しちゃうぞ!なんちゃって。
来週は運営委員会だ。ほかの委員会の人たちはどういう結論をもってくるだろうか。
6月以降、PTA関連の情報を意識的に読むようにしている。
国会図書館が遠隔複写サービスを始めたと聞いたので国家の装置としてのPTAを早速頼んでみた。早く届かないかな。
書籍では、「PTA再活用論」「PTAをけっこうラクにたのしくする本」の2冊は読んだ。ほかに朝日新聞の掲載をまとめたWEV新書 「PTA不要論」も。個人のブログや、PTA改革をしている小学校や中学校の記録、お役所系のなんとか会議の資料などなど、ネット上の情報もかなり漁っている。
4人目でもう義務教育も最後の3年間だから、上娘のときから感じていたPTAに対する違和感を、なんとか払拭したいものだ。




佐世保の事件をめぐって

佐世保の女子高生が同級生を殺した事件で、またぞろ、専門家、自称専門家、素人、様々な人が様々なことをネット上で語っている。特に識者と言われる人々のコメントの、なんと、いい加減なことか。
私がまとめなくても上手にまとめて一刀両断してくれてる人がいるのでその人のブログをあげておくけど、
心理コメンテーターのでたらめぶりを告白も含めて切る | 佐世保高1女子殺害の加害者は「女酒鬼薔薇」で詰み
まあ、こんなのを見ながら、ある心理学者さんの書いたものを読んで思わずこんなツイートをしたわけです。
しょーもないこと書いてるなぁ・・・。
この心理学者さんは、見るからに自分大好きっぽい人なので、絶対日々エゴサーチしたりしてるだろうし、当然twitterも全部チェックしてるだろうなーと思っていたらやっぱり。
早速レスがついてた。
以下、最初から、私のレスポンスを交えて時系列に並べるとこんな感じ。
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minaho ?@minaho_s 1:17 PM – 29 Jul 2014
しょーもないこと書いてるなぁ・・・。長崎・佐世保高1女子同級生殺害事件の犯罪心理学:教訓はなぜ生かされなかったか(碓井 真史) – Y!ニュース http://bylines.news.yahoo.co.jp/usuimafumi/20140728-00037759/
碓井真史 @ 心理学「こころの散歩道」@usuimafumi 11:57 PM – 29 Jul 2014
@minaho_s コメント感謝。ところで、どのへんが「しょーもない」のでしょうか。
minaho ?@minaho_s 7:31 AM – 30 Jul 2014
@usuimafumi 推測と想像ばかりだからです。碓井さんにだけ申し上げたような形になってしまいましたが、色々な専門家の方がそれぞれが違う推測や想像や印象を語っていらっしゃいます。事件直後まだほとんど何も分からない状態でも専門家の方は何か言わなくちゃいけないらしく、辛いですね。
碓井真史@心理学「こころの散歩道」 ?@usuimafumi 9:25 AM – 30 Jul 2014
@minaho_s コメント感謝。大事なポイントですね。事実を伝えるストレートニュース意外の記事も意味があると、私は考えています。推測も、心理学の理論やこれまでの同種の事件からの根拠ある推測を考えています。放っておくと、世間もマスコミも、根拠のない想像や心ない発言があふれます。
碓井真史@心理学「こころの散歩道」@usuimafumi 9:30 AM – 30 Jul 2014
@minaho_s 語る事は私の社会的責任かと。
ネット上で憶測を語るなら(碓井)Y!ニュース http://bylines.news.yahoo.co.jp/usuimafumi/20140722-00037608/
佐世保高1女子同級生殺害事件の犯罪心理学2:新たな供述から(碓井) Y!ニュース http://bylines.news.yahoo.co.jp/usuimafumi/20140729-00037776/
minaho ?@minaho_s 9:51 AM – 30 Jul 2014
@usuimafumi 専門家の発言は「社会的責任」と「根拠ある推測」がキーワードなのですね。理解しました。
minaho ?@minaho_s 9:53 AM – 30 Jul 2014
@usuimafumi でも私自身は、悪意のある中傷でないかぎり、根拠の無い想像と根拠ある推測との違いがよくわからないです。素人が直観的に述べていることが専門家が述べていることと同じだったりしますので。
minaho ?@minaho_s 10:18 AM – 30 Jul 2014
@usuimafumi 結局のところ、様々な言説を読んでも、ネット上では、自身が納得できたり、共感できたりするもの以外はスルーしていくのが賢いのかもしれませんね。お手を煩わせました。
碓井真史@心理学「こころの散歩道」?@usuimafumi 10:30 AM – 30 Jul 2014
@minaho_s 心理学者の最新理論とおばあちゃんの知恵袋が、結果的に同じ内容であることは多々あります。直感や現場の意見は大切です。ただ研究者としては、実証的な証拠と理論に基づきます。時事ネタで、一般の方に語るときには、許される推測と、わかりやすさが求められると考えています。
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最後のレスを読んで、がっかりしたので、もうこれ以上レスはつけませんでした。
なぜって、「直感」ではなく「直観」と書いたのに、「おばあちゃんの知恵袋」と一緒にされてしまったのですもの・・・orz。
(ちなみに、おばあちゃんの知恵袋はとても大事だとは思いますよ。程度問題だけど。)
私は心理学でものごを実証することはできないし、心理学が理論と称しているものも、理論というよりは「解釈」だと考えている。
物証ではなく状況証拠の積み上げ、というような意味合いで。
それが無駄とは全く思っていないし、子育てのさまざまな場面で私もその恩恵にあずかっているので(子供たちはスクールカウンセラーにはお世話になっているし)感謝はしているけど、でも、ことさらに最新理論だの実証だの根拠だの証拠だの言われて、そのうえ光り輝く社会とかきれいごとを言われちゃったりしちゃったりするともうもうもうそれだけで、さよーなら????と言いたくなってしまうのだ。
こんな被害にあって命を落としてしまった少女は本当にかわいそうだ。
被害者の親御さんのことを思うと言葉もない。
加害者の親、家族のこれからの苦しみを考えると、これまた言葉もない。
こういうタイプの子供は私たちの中から絶対に生まれてくる。だれが悪いのでもなく、事実として、絶対に生まれてくる。自分と全く異質の存在とは思わない。人類という同じDNAをもって私もその子も一線上に並んでいる。距離はあるけれど、私とその子との間は断絶はしていない。そして、そういう子がたまたま自分の子供に生まれなかっただけ、と思う。
育て方がどうであっても(影響はあるにしても)本質的に、生き物を人間を殺したいと欲求し実際に行動に移してしまう、そういう子供だったのだ。
世間はすぐに親の責任とか何かを追及するけれど、自分とは違うと証明したくて原因を探したり、だれかを糾弾したりするのだ。
でも自分とは違わない。同じ人間なのだ。
そういう子供はなぜか生まれる。そういう人間はなぜか生まれる。
これはもうどうしようもない。
せめて、こちらの世界に引き止めるように回りは努力するしかないのだが、起きてしまってはもう取り返しがつかない。
報道を見ると、加害者の異常行動に対する親の対応は間違っていたと思うけれども、世間が父親を断罪するようなことが無いように祈るばかりだ。


石田雄さんのインタビュー記事

こちらの記事、読みにくいので、コピペしてみたよ。
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学徒出陣した私には首相のいかがわしさがすぐ分かる
先月、朝日新聞の「声」欄に、「人殺しを命じられる身を考えて」という投書が載った。末尾には大学名誉教授 石田雄(東京都 91)とある。この投書が話題になったのは、石田氏は戦争の生き証人であるだけでなく、その生涯をかけて、「どうしたら、二度と戦争を繰り返さないか」を研究してきた学者であるからだ。投書した老学者の目に、いまの安倍政権はどう映っているのか。
――なぜ、投書を書かれたのか。やむにやまれぬものがあったのでしょうか?
 私は軍国青年だったんですよ。自分がなぜ、そうなったのか。それを明らかにするために研究者になったんです。二度と戦争を起こさせないために政治学、社会科学を研究してきたつもりでしたが、こういう時代が来ちゃった。
――こういう時代とは?
 戦前、戦争に向かっていった時代と非常に似ていますね。しかし、この年ですから、デモにも行けないし、官邸前で大きな声を出すわけにもいかない。社会科学者として何ができるか。切実に考えて、やむなく、朝日新聞に投書したのです。
――具体的には、どの部分が戦前と似ているのでしょうか?
 私は「日本の政治と言葉」という本を書いた際、「平和」という言葉が歴史上、どういうふうに使われたかをフォローしたことがあるんです。平和というのは最初は、非暴力という意味で使われる。しかし、日本においては次第に東洋平和という使い方をされて、日清、日露、日中戦争において戦争の大義にされていく。これは日本の戦争に限った話ではなく、ありとあらゆる戦争の言い訳、大義名分に「平和」という言葉が利用されてきたのです。唯一の例外がナチス・ドイツの侵略ですね。こういう歴史を見ていれば、安倍首相が唱える「積極的平和主義」という言葉のいかがわしさがすぐわかるんですよ。
――平和という言葉の使い方がまず、そっくりだと。
 それと排外的なナショナリズムのあおり方ですね。積極的平和主義と排他主義が重なり合うと、非常に危険な要素になります。平和とは非暴力であり、非暴力とは敵を憎まないことです。敵を理解することで、問題を解決しようという考え方です。しかし、今の安倍政権は中国、韓国を挑発し、緊張をつくり出している。そこに積極的平和主義が重なるものだから、危ないのです。
■もう一度「国のために死ね」と言うのか
――靖国参拝がいい例ですね。
 論外です。戦争体験者として、個人的な意見を言わせてもらえば、誰がお国のため、天皇陛下のために死んだものですか。みんな無駄死に、犬死にだったんですよ。歴史学者の藤原彰氏の調査によれば、戦死者の6割が餓死だったという。特攻隊だって、どうせ死ぬなら、美しく死のうとしたわけで、誰も喜んで死んだわけじゃない。それを美化し、首相が「尊崇の念を捧げる」などと言うのは「もう一度、国のために死んでくれ」という宣伝だと思う。死んだ人の霊を慰めたいと言うのであれば、それは二度と戦争を起こさないことなのです。
――政府は集団的自衛権の行使についても、限定的であって、戦争する国になるわけじゃないと主張しています。
海外の邦人を保護するため、と言っていますね。この理屈も戦前と似ています。1932年の第1次上海事変の直前、日本人の僧侶数人が殺傷される事件が起こった。日本政府は邦人の生命を守るという名目で、上海の兵力を増強し、戦闘が拡大。その後、本格的な日中戦争になりました。個別的自衛権であれば、「日本の領土内に攻め込まれたとき」という歯止めがかかりますが、邦人保護という名目で海外に出ていけば、歯止めがなくなってしまうのです。
――駆けつけ警護はどうですか?
 アフガニスタンで援助活動をしているペシャワール会の中村哲代表は「自衛隊が邦人救助に来るのは危ないからやめてほしい」と言っています。実際、ペシャワール会は日本がインド洋の給油活動をする前は、車両に日の丸を掲げて活動していた。それが守り札になったからです。しかし、給油活動を境に日の丸を消した。米国と一体と見られる懸念があったからでしょう。集団的自衛権による武力行使や集団安全保障による制裁措置に自衛隊が参加すれば、ますます、憎悪と攻撃の対象になる。もうひとつ、集団的自衛権で海外に出ていけば、おそらく、米軍の傘下に入る。邦人がいなくなったから帰ります、なんて言えるでしょうか。米軍は無人機で攻撃する。一般市民が巻き添えになれば、その恨みは陸上で展開している自衛隊に向く。こうなる可能性もあるわけです。 
――戦後70年間、せっかく平和国家としての地位があるのに、あえて、それを捨てて、恨みを買う必要があるのか、ということですね。
 言葉がわからない地域で武力行使をするのがいかに危ないか。イラクに駐留する米軍が「止まれ」という制止を振り切った車両を攻撃したら、殺されたのは、お産が近づき、病院に急ぐ妊婦だったという報告もありました。相互理解がなければ、どんどん、紛争は激化してしまう。それよりも、日本は戦後一人も海外で人を殺していないというプラスの遺産を生かすべきです。非武装の支援に徹すれば、外交的パワーもついてくる。その遺産を今、食い潰してしまうのは誠に愚かなことです。
首相は他者の気持ちが分からない人
――先生は殺せと命じられた身にもなってみろ、と投書で書かれましたね。
 私の父親は二・二六の直後に警視総監になったものだから、寝るときも枕元に拳銃を置いていた。父親は神経がもたず8カ月で辞任しましたが、私も武器恐怖症になって、不眠症が続いた。学徒出陣となって、徴兵検査のときは兵隊に行くべきだと思っていたが、人を殺す自信がなかった。東京湾の要塞重砲兵に配属になったのですが、軍隊というのはいつでも誰でも人を殺せる人間を作る。そういうところなんですね。敵を突き殺す訓練をやらされ、「そんなへっぴり腰で殺せるか」と殴られる。命令があれば、それがいいか悪いかを考えちゃいけない。なぜ、それをやるのかを聞いてもいけない。幸い、負け戦でしたから、敵が攻めてきて殺されるのを待っているような状況でした。そんな中、東京空襲に来た米軍の戦闘機が東京湾に墜落して、パイロットが泳いできたんですね。捕まえて司令部に報告すれば、「殺せ」と命令されるかもしれない。捕虜を殺すのは国際法違反です。しかし、命令に背けば、陸軍刑法で死刑です。これは大変なことになったと悩みました。
――しかし、命令する側は平気で「殺せ」というわけですね。憲法解釈を変えれば同じような境遇に自衛隊員も置かれる。殺される方もたまらないが殺す方も大変だ。そういう国に戻そうとしている安倍首相という政治家をどう見ていますか?
 自分よりも不利な人の立場で物事を考えられないのだと思います。他者感覚の欠落、共感能力の欠如というか、ずっとチヤホヤ育てられると、そうなっていくのかもしれません。デンマークの陸軍大将、フリッツ・ホルンは戦争絶滅法案なるものを提唱していて、開戦後10時間以内に元首、首相、閣僚、議員を最前線に行かせる。そういうことを決めれば戦争はなくなると言っています。そういう立場に立たされれば、積極的平和主義なんて、簡単に言えるわけがないのです。
――国民も正念場ですね。
 一番恐れているのは沈黙の螺旋です。出る杭は打たれるからと黙っていると、その沈黙がだんだん広がって誰も声を出せなくなる。若い人の方が「出る杭は打たれる」と心配するでしょうから、ここは年長者が声を出さなければいけないと思います。
◇いしだ・たけし 1923年6月7日生まれ。旧制成蹊高校から東北帝国大学法文学部へ。在学中に学徒出陣を受け、東京湾要塞重砲兵連隊に入隊。復員後、東大法学部へ。東大社会科学研究所教授・所長、千葉大法経学部教授などを歴任。著書多数。
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