卒業式雑感(中学の不思議・最終回)

17日は末娘の中学卒業式だった。今どきの卒業式はすごい。何がすごいって「起立」「礼」の声かけがなくても、生徒全員が決められたタイミングで一斉にザッと立ち上がり、ザッと着席する。一糸乱れぬその動き、そして、一斉に立ち上がる音、一斉に着席する音がなんだか恐ろしく、鳥肌が立ってしまった。

上娘の時から、いや、自分自身が中学生のときからだ。日本の学校は軍隊式だよなーと思ってはいたけれど、私たちの頃はもちろん、上娘のころだってその軍隊式に反発してなのかどうかわからないけれど、行動を共にしない子供、先生の言うことにしたがわない子供がいたものだ。それに、立つとき座るときはそれぞれ、司会の先生が、3年生起立とか、在校生着席!などと必ず声をかけていたように記憶している。

いつから声かけしないでそうした行動をさせるようになったのか。たとえば「送る言葉」を述べる2年生4人が舞台に上がって行く、その先頭の生徒が3段目に足を掛けたら3年生は立ち上がる、とか決めて、起立やら着席やらさせるようになったんだ?
送る言葉の先頭の生徒は、舞台への階段3段目に足をかけるとき、一瞬後ろを気にするように足を止めた。その生徒は、3年生が立ち上がる合図を送る重責(?)を担っていたのだ。

何かに似ている。

そう。北朝鮮のマスゲーム(全体主義)だ! 

公立中学校小学校で行われる行事、式典におけるマスゲーム化現象は、この16年で加速し、完成しつつある。(まだ完成はしていない。完成した暁には、件の送る言葉2年生先頭生徒は、階段の途中で足を止めるようなことはなくなり、ごく自然に3段目に足を掛けたとたんに、3年生は一糸乱れぬ動きで立ち上がるようになるのだ。(恐))

生徒ひとり一人が、お腹の中でどう思っているかは別として、目立つ行動はしないようにしないように、いつも「みんな同じ」であるように振る舞うことが不文律のようになっている。中学校の先生たちはなぜこれほどまでに、生徒たちに一糸乱れぬ動きを求めるのだろうか。

中学校の不思議の中身が、だんだん末恐ろしい内容になってきたところで、我が家は公立義務教育とはお別れする。

清々するような、しかし、これから例えば孫が生まれたとして、孫はどんな教育を受けるようになるのか、心配なような、恐いような。そんな気持ちを抱きつつ、卒業式雑感として書き留めておく。