さよなら堤さん

このあいだは、入社して最初の上司がなくなり、今度は堤さんが・・・
堤さんにあこがれて22歳から35歳まで過ごした私の西武百貨店は、もうこれで完全に無くなりました。
◆共同通信
セゾン築き上げた堤清二氏が死去 86歳 作家「辻井喬」で活躍
 流通や外食、金融にまたがる企業集団「セゾングループ」を築き上げ、作家としても活躍したセゾン文化財団理事長の堤清二氏が25日、東京都内で死去したことが28日分かった。86歳。東京都出身。
 西武百貨店を基盤にしてスーパーの西友や信販会社クレディセゾンなど多くの企業を育てた。「辻井喬」のペンネームで詩人、小説家としても知られた。
 父は西武グループの創業者で元衆院議長の故堤康次郎氏。異母弟は西武鉄道やコクドの会長を務めた堤義明氏。
2013/11/28 12:53 【共同通信】
◆日本経済新聞
堤清二氏が死去 セゾングループ創業者
 セゾングループ創業者で、辻井喬のペンネームで小説家や詩人としても活躍した堤清二(つつみ・せいじ)氏が25日午前2時5分、死去した。86歳だった。お別れの会を行うが、日取りなどは未定。
 東京都出身。1951年東京大卒。当時衆院議長だった父で西武グループ創業者の堤康次郎氏の秘書を務めた後、54年西武百貨店に入社した。
 64年、康次郎氏の死去に伴い、西武百貨店など西武グループの流通部門を継承。70年に異母弟の義明氏が率いるグループ本体から独立して西武流通グループ(のちのセゾングループ)を立ち上げた。
 「生活総合産業」を旗印に積極的な拡大路線をとり、西武百貨店池袋店を売上高で百貨店日本一に導くとともに、セゾングループを小売業や金融、ホテル経営、不動産開発など100社以上を傘下に収める企業グループに成長させた。
 一方、辻井喬のペンネームで小説や詩も多数発表。91年のセゾングループ代表辞任後は精力的に作家活動を行い、詩
集「群青、わが黙示」で93年に高見順賞、小説「虹の岬」で94年に谷崎潤一郎賞、「父の肖像」で04年に野間文芸賞を受賞した。98~2000年、日本経済新聞朝刊に小説「風の生涯」を連載。美術館開設など文化事業にも力を入れた。
◆産経NEWS
元セゾングループ代表の堤清二氏が死去、86歳 作家「辻井喬」でも活躍
2013.11.28 12:40
 西武百貨店を中心に幅広い流通サービス企業集団「セゾングループ」を築き上げ、「辻井喬」のペンネームで詩人、小説家としても活躍したセゾン文化財団理事長の堤清二(つつみ・せいじ)氏が25日午前2時5分、肝不全のため東京都内の病院で死去したことが28日わかった。86歳。東京都出身。
 葬儀・告別式はすでに済ませた。喪主は妻麻子(あさこ)さん。お別れの会を後日開く。日取り、場所は未定。
「おいしい生活。」80年代を牽引
 昭和2年、西武グループの創始者で衆院議員だった康次郎氏の二男として誕生。東大卒業後、29年に西武百貨店に入社した。康次郎氏の死後、西武グループは異母弟の義明氏が継承。対抗するように西武百貨店や西友、ファミリーマートの多店舗化を進めた。
 さらに「生活総合産業」との理念のもと、ホテル経営や文化活動など各種のサービス事業を拡大。パルコ、クレディセゾン、インター・コンチネンタル・ホテルズなどを「セゾングループ」としてまとめ、総売り上げ4兆円を誇る巨大企業グループを築いた。
 実業の傍ら、執筆活動にも精力的で、昭和30年に詩集「不確かな朝」で文壇デビュー。小説作品では「彷徨の季節の中で」、第30回谷崎潤一郎賞を受賞した「虹の岬」、康次郎氏の人生を描いた「父の肖像」など。
 しかし、バブル崩壊などで西洋環境開発などが巨額の負債を抱えたほか、西武百貨店などの経営も低迷。平成3年に堤氏はグループ代表を辞任し、セゾングループは事実上、解体した。
 堤氏は経営の第一線を退いた後はセゾン文化財団理事長として若手芸術家の育成に力を注ぐ一方、作家活動に専念していた。
◆J-castニュース
堤清二氏死去 セゾングループ創業者、作家・辻井喬としても活躍
2013/11/28 13:09
元セゾングループ代表で、財団法人セゾン文化財団理事長の堤清二氏が2013年11月25日に死去した。86歳だった。
堤氏は1927年、西武グループの創業者である故・堤康次郎氏の妾(後に本妻)の子として生まれた。異母弟に西武鉄道グループ元オーナーの堤義明氏がいる。
54年に西武百貨店に入社し、55年から取締役店長を務めた。64年に康次郎氏が死去した後スーパーマーケットの西友を急展開、西武百貨店の渋谷進出、ホテル経営やリゾート開発に乗り出す西武流通グループ(現セゾングループ)を立ち上げるなどしたが、バブル崩壊で経営破綻し、91年に代表を辞任、2001年にグループは事実上の解体となった。
詩人・小説家として「辻井喬」の名前でも活躍。1994年に「虹の岬」で谷崎潤一郎賞、2004年には「父の肖像」で野間文芸賞を受賞した。
◆中国新聞
堤清二氏が死去 セゾングループ築く、86歳
 流通や外食、金融にまたがる企業集団「セゾングループ」を築き上げ、作家としても活躍したセゾン文化財団理事長の堤清二(つつみ・せいじ)氏が25日、東京都内で死去したことが28日分かった。86歳。東京都出身。自宅は東京都港区南麻布5の2の13。
 西武百貨店を基盤にしてスーパーの西友や信販会社クレディセゾンなど多くの企業を育てた。「辻井喬」のペンネームで詩人、小説家としても知られた。
 父は西武グループの創業者で元衆院議長の故堤康次郎つつみ・やすじろう氏。異母弟は西武鉄道やコクドの会長を務めた堤義明つつみ・よしあき氏。作家としての代表作に谷崎潤一郎賞を受賞した「虹の岬」や室生犀星賞受賞の「異邦人」などがある。2004年には康次郎氏を描いた「父の肖像」が野間文芸賞を受賞した。
 清二氏は東大在学中、学生運動に傾倒。康次郎氏からは後継者として認められず、傍流の百貨店部門を継承した。康次郎氏の秘書を務めた後、1954年に西武百貨店に入社。取締役店長を経て66年、社長に就任した。
 新規事業を次々開拓し、西友を創業したほか、専門店のパルコなどからなるセゾングループ代表となる。企業再建も手掛け、倒産した吉野家などを再生した。
 88年には世界有数のホテルチェーン、インターコンチネンタルホテルを約2800億円で買収するなど事業を拡大したが、バブル崩壊後は西武百貨店などの経営が悪化し、91年にセゾングループ代表を辞任。経営の第一線から退いていた。
◆毎日新聞
訃報:堤清二さん死去…セゾン元代表、作家「辻井喬」
毎日新聞 2013年11月28日 13時02分(最終更新 11月28日 13時27分)
 流通大手セゾングループ元代表で、「辻井喬(つじいたかし)」の筆名で作家・詩人としても活躍した堤清二(つつみ・せいじ)さんが25日午前2時5分、肝不全のため東京都内の病院で死去した。86歳。葬儀は近親者で営んだ。喪主は妻麻子(あさこ)さん。
 東京都生まれ。父は西武グループ創業者で衆院議長を務めた康次郎氏。東大経済学部在学中に学生運動に参加し共産党に入党するが、後に除名。康次郎氏の秘書を経て54年に西武百貨店に入社。66年、社長に就任。百貨店以外に、スーパーの西友や「無印良品」ブランドの良品計画、パルコを展開し、バブル期には「インター・コンチネンタル・ホテルズ」を買収。売上高4兆円を超える一大流通グループを築いた。
 しかし、中核の西武百貨店が経営不振に陥り、91年にセゾングループ代表を辞任。92年には西武百貨店の代表権も返上した。2000年、グループ企業「西洋環境開発」が5538億円の負債を抱えて特別清算したため、経営の一線から身を引いた。
 一方、61年、屈折した青春の体験を暗喩によって表現した詩集「異邦人」で室生犀星詩人賞を受賞。84年、小説「いつもと同じ春」で平林たい子賞。グループ代表退任後、旺盛に創作に取り組み、詩集「群青、わが黙示」で高見順賞、「鷲がいて」で読売文学賞、小説「虹の岬」で谷崎潤一郎賞、「父の肖像」で野間文芸賞を受けた。07年から芸術院会員。12年、文化功労者。
◆毎日新聞
堤清二さん死去:類例のない「マルチ文化人」
毎日新聞 2013年11月28日 13時07分(最終更新 11月28日 20時09分)
 86歳で25日に死去したセゾングループ元代表の堤清二さんは、類例のない「マルチ文化人」だった。
 20代で西武百貨店を率い、「二流」といわれた百貨店を日本有数の流通グループに押し上げた。時代を先取りする経営手腕は海外でも評価され、88年には米経済誌の選ぶ「最も魅力的な世界の企業人25人」に名を連ねた。
 若者向けの商品を扱い、映画や音楽などの情報発信も手掛ける百貨店「パルコ」や、関連企業で展開した「無印良品」ブランドの生活用品、雑貨店「ロフト」などは、人々の暮らしに根付いた。75年には百貨店内に美術館(後のセゾン美術館)を開館。劇場を東京・銀座に設けるなど、美術や音楽、演劇の先端的な作品を積極的に紹介した。
 田中一光、糸井重里さんら若手美術家やコピーライターを登用し、店舗を都会的で洗練された消費の発信地とするイメージ戦略を展開。高度成長後の成熟した時代の感性を先取りし、「おいしい生活」(糸井さん)などのコピーは流行語にもなった。
 一方で、西武鉄道を引き継いだ異母弟・義明氏(元コクド会長)との確執が、しばしば報じられた。90年代に入ると、西武百貨店の経営不振でセゾングループ代表を辞任。バブル期の過剰な借り入れがたたり、00年にグループは解体された。
 経営者としての最後は恵まれなかったが、企業による文化貢献、情報発信を先駆的に推し進めた。背景には、政財界、文化界にわたる幅広い人脈に加え、文学で培った独自の感覚と歴史観があった。
 もともと隠喩を駆使した前衛的な詩を書いたが、経営の一線を退いた90年代以降、詩集「群青、わが黙示」をはじめとする3部作で昭和の戦争を掘り下げた。自伝的作品の多い小説では、戦後史の中で企業人と文化人という自身の二面性を見詰める作風を築いた。
 セゾン美術館などメセナ(企業の社会貢献)活動も先駆的に手掛けた。日本文芸家協会、日本ペンクラブの役員を歴任し、99年から毎日出版文化賞選考委員。フランス、中国など国際交流にも熱心で、日中文化交流協会会長を務めた。【大井浩一】
◆朝日新聞
堤清二氏が死去 元セゾンG代表 作家・辻井喬でも活躍
2013年11月28日13時13分
 元セゾングループ代表で、1970年代以降の商業文化を育てるなど、経済人として活躍する一方、辻井喬(つじい・たかし)のペンネームで作家・詩人としても活躍した堤清二(つつみ・せいじ)さんが25日午前2時5分、肝不全のため、都内の病院で死去していたことがわかった。86歳だった。
 元衆議院議長の故堤康次郎の次男として生まれ、議員秘書を経て、西武百貨店、西友ストアー(現西友)などの社長を務めた。堤義明・元西武鉄道会長は異母弟。
 西武百貨店、西友を中核とした流通グループを80年代から90年代初頭にかけ、総合生活産業を標榜(ひょうぼう)しホテル事業、マンション販売、リゾート開発、金融サービスなど幅広い事業を手がけるセゾングループに育てた。しかし、借入金の頼った拡大路線がバブル崩壊で破綻(はたん)し、ホテル事業、リゾート開発などから撤退。2000年には西洋環境開発の清算の際に、私財提供を余儀なくされた。グループ企業の経営から退き、セゾン文化財団理事長を務めた。
 また、作家・辻井喬として「異邦人」で室生犀星詩人賞、「虹の岬」「風の生涯」など著書多数。03年には朝日新聞に新聞小説「終わりからの旅」を連載した。
◆日刊スポーツ
堤清二さん死去 元セゾングループ代表
 流通や外食、金融にまたがる企業集団「セゾングループ」を築き上げ、作家としても活躍したセゾン文化財団理事長の堤清二(つつみ・せいじ)氏が25日午前2時5分、肝不全のため東京都内の病院で死去したことが28日わかった。86歳。東京都出身。葬儀・告別式はすでに済ませた。喪主は妻麻子(あさこ)さん。お別れの会を後日開く。日取り、場所は未定。
 西武百貨店を基盤にしてスーパーの西友や信販会社クレディセゾンなど多くの企業を育てた。「辻井喬」のペンネームで詩人、小説家としても知られた。
 父は西武グループの創業者で元衆院議長の故堤康次郎氏。異母弟は西武鉄道やコクドの会長を務めた堤義明氏。作家としての代表作に谷崎潤一郎賞を受賞した「虹の岬」や室生犀星詩人賞受賞の「異邦人」などがある。2004年には康次郎氏を描いた「父の肖像」が野間文芸賞を受賞した。日本芸術院会員で、12年に文化功労者に選ばれた。
 清二氏は東大在学中、学生運動に傾倒。康次郎氏からは後継者として認められず、傍流の百貨店部門を継承した。康次郎氏の秘書を務めた後、1954年に西武百貨店に入社。取締役店長を経て66年、社長に就任した。
 新規事業を次々開拓し、西友を創業したほか、専門店のパルコなどからなるセゾングループ代表となる。企業再建も手掛け、倒産した吉野家などを再生した。
 88年には世界有数のホテルチェーン、インターコンチネンタルホテルを約2800億円で買収するなど事業を拡大したが、バブル崩壊後は西武百貨店などの経営が悪化し、91年にセゾングループ代表を辞任。経営の第一線から退いていた。
 2005年には、清二氏と確執があったとされる義明氏が、西武鉄道株をめぐる証券取引法違反(虚偽記載、インサイダー取引)の罪で起訴され、銀行主導でグループ再編が進められた。(共同)
 [2013年11月28日13時25分]
◆ウォールストリートジャーナル
2013年 11月 28日 13:36 JST
堤清二氏死去=セゾングループ築く、86歳?作家「辻井喬」
 流通大手の旧「セゾングループ」を築き、「辻井喬(つじい・たかし)」のペンネームで作家としても活躍した堤清二(つつみ・せいじ)氏が死去していたことが28日、分かった。86歳だった。
 西武グループを興した堤康次郎氏の次男として1927年に東京都で生まれた。西武鉄道グループを率いた堤義明氏は実弟。51年に東大経済学部を卒業。在学中は左翼活動に傾倒した。53年再入学した東大文学部時代には、衆院議長だった康次郎氏の秘書を務めた。
 54年西武百貨店に入社。64年の康次郎氏の死去後、西武グループの流通部門を分離・独立させ、西武百貨店や西友、パルコなど小売業だけでなく、外食、ホテル、リゾート開発、金融など幅広い分野を手掛けるセゾングループを築いた。しかし、バブル経済崩壊後に経営が急速に悪化し、91年に代表を退いた。私財を投じて87年に設立したセゾン文化財団で理事長を務め、さまざまな文化活動の支援も行っていた。
 辻井喬のペンネームで執筆した詩集「異邦人」で61年に室生犀星詩人賞を受賞。その後も企業経営の傍ら詩人、小説家としても活躍し、多くの賞を獲得したことから「文化人経営者」と称された。2007年には日本芸術院会員に、12年には文化功労者に選ばれた。 
[時事通信社]
◆読売新聞
セゾングループ創業、堤清二氏死去…作家の顔も
 西武百貨店の社長を務めるなどセゾングループの創業者で、詩人で作家の辻井喬としても著名なセゾン文化財団理事長の堤清二(つつみ・せいじ)氏が25日午前2時5分、肝不全で死去していたことが分かった。86歳。
 告別式は近親者で済ませた。喪主は妻の麻子(あさこ)さん。後日、お別れの会を開く。
 1951年に東大経済学部を卒業後、西武グループの創業者で衆院議長を務めた父・堤康次郎氏の秘書を経て、54年に西武百貨店に入社した。63年に西友ストアー(現・西友)社長、66年に西武百貨店社長にそれぞれ就任した。西武鉄道元会長の堤義明氏は異母弟。
 西武百貨店では「生活総合産業」を掲げて次々と新機軸を打ち出し、パルコやファミリーマートの創業などで「セゾングループ」を築き上げた。北海道のサホロリゾートやインター・コンチネンタルホテルの買収など不動産事業も積極的に推し進め、経営の多角化路線は国内外で注目を集めた。
 しかし、バブル崩壊で本業の業績が低迷したほか、自らが会長を務め、リゾート開発などを積極的に進めた西洋環境開発が経営難に陥った。西洋環境開発は2000年7月、特別清算の形で処理が決まり、堤氏は私財提供のためにグループ各社の保有株のほとんどを売却。セゾングループは解体し、堤氏も経営から完全に退いた。
 一方、辻井喬として文壇でも活躍した。詩集では「異邦人」で室生犀星詩人賞、「鷲がいて」で現代詩花椿賞と読売文学賞を受賞。小説では「虹の岬」で谷崎潤一郎賞、「父の肖像」で野間文芸賞を受けた。08年1月から1年間、本紙朝刊に「叙情と闘争 辻井喬・堤清二回顧録」を連載した。
(2013年11月28日13時51分 読売新聞)
◆NHKニュース
セゾン創業者 堤清二氏が死去
11月28日 13時54分
西武百貨店を中核としたかつてのセゾングループの創業者で、作家としても知られる堤清二氏が、肝不全のため今月25日に東京都内の病院で亡くなりました。
86歳でした。
堤氏は、西武鉄道グループの創業者の一族として生まれ、父親が経営する西武百貨店に昭和29年に入社し、昭和41年に社長、昭和52年には会長に就任しました。
この間、堤氏は、百貨店の店舗網を全国に広げ、ホテル経営やチケット販売事業なども手がけるセゾングループを作りました。
さらに、『生活総合産業』をうたい、スーパーの西友や、カードのクレディセゾン、コンビニエンスストアのファミリーマート、それに、無印良品やパルコなど、積極的に事業の多角化を進めました。
セゾングループは、「おいしい生活」のコピーなどで知られる先進的な広告や文化活動で若い世代のファッションや生活スタイルに影響を与え、売上げが4兆円を超える一大流通グループになりました。
しかし、バブル期に手がけた不動産事業の失敗などで多額の負債を抱え、グループは事実上解体に追い込まれ、堤氏は、平成11年にはグループのすべての役職から退きました。
一方で堤氏は、辻井喬というペンネームで作家として多くの著作を残したほか、演劇などを支援する「セゾン文化財団」の理事長を務めるなど精力的な文化活動を行っていました。
◆東京新聞
堤清二さん死去 セゾン経営 作家「辻井喬」で活動
2013年11月28日 夕刊
 セゾングループのオーナーとして流通革命やメセナ(文化支援)活動を進めるとともに、詩人、作家「辻井喬(つじいたかし)」としても活躍した堤清二(つつみせいじ)さんが二十五日、東京都内で死去したことが二十八日分かった。八十六歳。東京都出身。
 堤さんは、西武グループ創業者の父康次郎氏への反発から、東大在学中に共産党に入党。運動の挫折と肺結核の療養を経て、衆議院議長だった父の秘書を務めた。二十六歳で西武百貨店に入社。三十九歳で社長に就任した。
 大衆消費社会の波に乗って業績を拡大。一九八五年に「西武流通グループ」から「セゾングループ」に名称変更し、八七年には西武百貨店の売上高が業界一位になった。しかし、バブル経済崩壊後にリゾート開発の失敗などで経営破綻した。
 九一年にグループ代表を辞任して以降は、詩人・作家としての活動を展開。父との確執をテーマにした小説「父の肖像」で野間文芸賞、詩集「群青、わが黙示」で高見順賞など詩壇・文壇の主要な賞を相次いで受賞した。二〇一一年一月から一年間、本紙に「過ぎてゆく光景」を連載した。
 最近では原発問題や、特定秘密保護法案についても積極的に意思表明。原発について国民投票を求める市民運動「みんなで決めよう『原発』国民投票」では賛同者に名を連ねていた。
 二十五日には武者小路公秀・大阪国際平和センター会長らとつくる「世界平和アピール七人委員会」で、特定秘密保護法案の廃案を求める声明文を出した。
◆ZAKZAK
元セゾングループ代表・堤清二氏死去…86歳 異母弟の義明氏と確執も
2013.11.28
 流通や外食、金融にまたがる企業集団「セゾングループ」を築き上げ、作家としても活躍したセゾン文化財団理事長の堤清二(つつみ・せいじ、筆名・辻井喬=つじい・たかし)氏が25日午前2時5分、肝不全のため東京都内の病院で死去した。86歳。喪主は妻、麻子(あさこ)さん。
 西武グループ創業家出身の清二氏は、同グループ総帥として西武鉄道やコクドの会長を務めた異母弟の堤義明氏(79)と長年確執があったことでも知られる。
 清二氏は西武グループ創業者、堤康次郎氏の次男として東京都に生まれた。東大経済学部在学中、学生運動に傾倒。卒業後は衆議院議長だった康次郎氏の秘書を務めたが、後継者として認められず、三男の義明氏がグループ総帥を継承した。
 清二氏は傍流の西武百貨店を基盤にスーパーの西友を創業、セゾングループとして独立し、ファッションビルのパルコ、プライベートブランドの無印良品など新たな業態を生み出した。信販会社のクレディセゾンなど金融事業にも進出、倒産した吉野家を再生したほか、88年に世界有数のホテルチェーン、インターコンチネンタルホテルを約2800億円で買収。劇場や美術館など文化事業にも積極的だった。
 バブル崩壊で不動産や金融事業が巨額の負債を抱え、清二氏は91年にグループ代表を辞任、負債処理に私財100億円を投じた。その後、グループは解体された。
 2005年には義明氏も西武鉄道株をめぐる証券取引法違反の罪で起訴され、西武グループは銀行主導で再編された。
 「辻井喬」のペンネームで詩人、小説家としても活躍。作家としての代表作に谷崎潤一郎賞を受賞した「虹の岬」や室生犀星詩人賞受賞の「異邦人」などがある。2004年には康次郎氏を描いた「父の肖像」が野間文芸賞を受賞した。日本芸術院会員で、12年に文化功労者に選ばれた。
 ■ノンフィクション作家・沢地久枝さんの話「反原発運動の呼び掛け人の一人で、市民が抗議の声を上げるときに一緒に発言をしてくれた。自分は社会主義者だとはっきり言って、経営者として責められても自分の人生から逃げず、たくさんの作品を残された。なかなかできないこと。お父さんの名前を乗り越え、自分の方向を変えず、86年の人生を立派に生き抜かれたと思います」


コメント

  1. うりた より:

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    QLOOK ID
    私は非常に短い期間でしたが、社会人としての基礎をつくった場所でした。今年初め、朝日新聞の証言そのときで連載されていたのを懐かしさ郷愁も含め複雑な思いで読んでいました。元気な会社でした。

  2. minaho より:

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    QLOOK ID
    いらっしゃいませ>うりたさま
    私にとっても、あの場所は社会人としての基礎、仕事人としての基礎を作ってもらった場所だと思っています。<証言・そのとき>はネットで探して読んでみました。複雑な思い、わかるような気がします。