「 こそだて日記 」一覧

末娘のスクランブルエッグ

スクランブルエッグ作りがマイブームの末娘。そもそもなんでスクランブルエッグかというと、某中学の過去問題集を見たら、スクランブルエッグづくりの問題があったそうな。普通過去問といえば、算数国語理科社会。しかしその中学は体育も家庭科も図工も試験科目に含まれる。
勉強(座学?)が好きじゃない末娘はすぐに行動を起こしスクランブルエッグを作成したら、うまくできてそれ以来、何かとスクランブルエッグ。
今日は休日だったので、3個も卵を使って大量に作って味見させてくれた。
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なかなか美味しく出来ていたよ。卵液がじんわり出てくるあたり、堅すぎず柔らかすぎず。
作成者はこんな人。
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過去問、家庭科と図工と体育ばっかりやらないで算数国語理科社会もやって欲しいんだけどなぁ(笑)


山法師と黄菖蒲

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お茶のお稽古に持っていったお花をそのまま持ち帰り家に飾る。
堅いつぼみだったはずのキショウブがどんどん開く。
お花を生けてあるハチ(?)は、中娘が小学校時代に図工で作った「縄文土器」。


フライング母の日

日付が変わってしまったけれど、11日のお話。
子供が生まれてこの方、基本的に母の日関係ない日々を過ごしてきた。保育園に行っているころは、母の日が近づくと、子供たちが何かとプレゼントを作ってくれたりしたけれど、いわれるままやっていただけで、保育園を卒園してしまえば、母の日?なにそれ?状態な子供たち。
がしかし。
上娘は違った。
明日母の日だから、と西武百貨店で開催されていた和菓子の催事でかわいい和菓子を見繕ってきてくれた。
上が鯛の最中で、下が香川の和三盆干菓子。
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そして、これが鯛の最中。ピンクでかわいいーーー。
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晩ご飯のあと、母の日には一日早かったけど、お抹茶を点てて最中をいただきました。おいしい。
息子、中娘、末娘よ、上娘を見習え!!


高校の入学式

キリスト教系の学校の入学式は初めて。なんだか珍しいことばかりで、こういっては何だけど、面白かったです。
帰ってきていろいろと様子を話したら、上娘から、ちょうど日曜学校がそんな感じだったよ、と言われ、そういうものなのかなぁなんて思いました。
なにはともあれ、他の生徒さんと同じように入学式に参加出来た中娘をほめてやりたいと思います。


末娘の結論

今後どうするのか末娘に尋ねたら、一言。
「四谷大塚は、やめない。」
だって。
あのね、それを言うなら、
「一昨日は申し訳ありませんでした。反省しましたので、どうかこれからも四谷大塚に行かせてください。」
だろうが!!と思ったけれども、ひたすら我慢して次の言葉を待つと、
「高校受験したくないから、中学受験がんばる!」
そ、そこかい。_ノ乙(、ン、)_


末娘の逃亡

単純な反復練習が大嫌いなナマイキな末娘は、我が家では3年生までは通うことにしている公文式教室を早々とやめ、小学校2年生から週に一日サピックスに通い始めた。
サピックスは中学受験塾として超有名な所だが、低学年の小学生にとっては、知的好奇心が満たされる誠に楽しい塾であり、受験の受の字も無いのである(囲い込みだけはしっかりされている感じはあったが)。
しかし天国なのは3年生まで。4年生に上がると授業は週に2日となりコマ数も増えテストも増える。5年生で週に3日、夜8時までの授業。月に一回のテストでクラスが頻繁に上下動する。さらに6年生ともなると、土曜を含めて週に4回も通い、平日は夜9時までの授業となるのであった。
「夜9時まで子どもを拘束するような塾に行かないと中学受験はできないのか、そんなの馬鹿げている。子どもは9時に寝るものだ。」
という家人の持論により、サピックスを退塾した末娘。親子して中学受験をうっすら考えていたので、転塾先として考えたのは四谷大塚であった。
もちろん四谷大塚だって、通塾生は週に3日、夜9時過ぎまで授業を受けて、土曜日はその復習テストと解説授業というサイクルでまわっているが、四谷大塚の良いところは、授業は受けないでテストとその解説授業だけ受けるテスト会員という仕組みを残している点である。(テスト生の需要は根強いものがあると四谷大塚のスタッフの方も仰っていた。)
塾に行かない分、テキストに従って自分で毎週の範囲を勉強せねばならないものの、夜遅くまで家の外で拘束される生活はしなくてよくなる。しかもこの時代、ネットで映像授業だって見せてもらえるのだ。
さて。前置きが長くなったが、末娘は無事に入塾テストに合格(笑)して、この2月から週に一回四谷大塚に通い始めた。そして春休みの間は、昼間の時間帯に春期講習があったので申し込み、久しぶりのスクーリングに通うことにしたのだがしかし。
もともとバリバリの受験生ではないし、何しろ怠け者だ。先週水曜からスタートして4日間通ったところで、日曜の休みをはさんで月曜日、体がだるいから行きたくないと言い出した。月曜の朝は大人だって会社に行きたくない。ただのさぼりであることを見抜いた家人は厳しく末娘に対応し、強制的に送り出した。
そして翌日の火曜日。雨だ。雨が降るとやっぱり行きたくない。体調が悪い。熱が37度2分もある(ヤツは体温計の温度を上げるのが上手だ)。そう言ってまたもやゴネ始める。しかしやっぱり家人はそれを許さない。
本当は朝10時過ぎには家を出ていなければいけないところ、11時近くなって末娘から会社にいる私のところにメールが入った。
「逝ってきます。」
なんだか嫌な予感・・・。
午後2時14分。家人からメールで、「四谷大塚から電話があり、末娘が来ていないそうです。四谷大塚のかばんがうちの自転車置き場に置いてありました。(ということはお弁当と水筒だけ持っていったようです。)中娘によれば携帯電話は家に置いていっているそうです。」と連絡が。
やっぱり。
末娘逃亡。
お弁当と水筒を持っていくあたり、ちゃっかりしていやがるわけだが、いったいどこへ消えたのか。
夕方になり、家人が捜索に出る。彼女の行きそうな所を雨の中歩いて探す。駅、駅の待合室(以前そこで寝てたことがある)、駅近くの本屋(大型店で立ち読み自由)、図書館(彼女は図書館好きだし、なにより屋根がありご飯を食べる場所もある)・・・しかし見つからない。
家出常習者(笑)の中娘にアドバイスを求め、「ブックオフ」(中娘が以前家出したときの行き先)に行っているのでは?と言われた家人、一駅分歩いてブックオフへ。
中娘の予測は大当たりで、隣駅前のブックオフで無事捕獲。帰宅は午後7時近くになっていた。
結局わかりやすいヤツで助かった。これがもっと悪賢ければ電車に乗ってどこかへ行っていたかも知れない。
さて、昨晩、末娘が私からこってり絞られたのは言うまでもないが、申し訳なかったのは四谷大塚の先生方まで巻き込んでしまったことだ。夜8時近くになって塾から電話があり、先生方も塾周辺や駅周辺の子供が行きそうな所をさがしてくださったと聞いて、本当に申し訳なく、末娘の無事が分かった時点でまずは塾に報告すべきであった。
今日は菓子折を持って家人が末娘について四谷大塚に行き、昨日のお詫びとお礼を言い、事情を話してきてくれた。
中娘の高校受験の様子を見て、末娘が現在行っている中学受験の勉強は中学に行ってから役に立つ、ひいては、高校受験にも役に立つと思っていたが、本人がやる気がないのなら、お金を掛けて勉強させる必要は無い。決めるのは本人だ。小学校6年生でまだ幼いとはいえ、自分で決めなければやっぱり意味がない。
春季講習はお金を払い込んでしまっている上に、どうせ今日を含めてあと2日なのだから行け!と言って行かせているが、テストコースにこのまま在籍して勉強し続けるかどうかは、本人にきちんと考えて決めさせようと思う。


中学校の卒業式

昨日は中学の卒業式が行われた。
フォーマルな場面(?)で緊張してしまう中娘は、早い段階から「卒業式無理!」と宣言しており、本人の希望を聞きながら先生方とも相談した結果、卒業式そのものは保護者席で見学(というか、観覧?)し、午後、中娘と同じように学校に来られない子供たちのための、第二回卒業式に出席して証書をいただく、ということになった。
そして、私と二人で参加した卒業式。証書授与の場面では、返事もなく本人の姿も見えないけれど、中娘の名前もちゃんと呼ばれた。本人不在で名前だけ,という子が7?8人はいただろうか。卒業生は2クラスあわせて70人もいないのに、一割強不登校なのか。
さて、G中の卒業式は、伝統的に、最後に生徒による演技(?)がある。卒業生が舞台に上がり、歌を歌ったり、言葉を述べたりするのだ。プロローグから始まって、1年生の思い出、2年生の思い出、3年生の思い出と続き、在校生への言葉、自分たちの将来に対する抱負、間に在校生の歌と在校生からの送る言葉を挟んで、最後に別れの言葉と別れの歌という具合にストーリーだてて進んでいく。歌の伴奏はもちろん、ピアノの演奏がずっと途切れなく続いていて、その演奏も生徒たち。それぞれのパートで話をするのは、そのパートの文章を書いた子らしい。
合唱コンクールの課題曲でもあった「大地讃頌」から始まったので、親の涙腺もゆるむというものだ。(中娘は合唱コンクールも上記の理由で舞台の裾から見学だったので、私は複雑な心境だったけど。)3月に入ってからはほとんど卒業式の企画と練習ばかりしていただけあって、本当にみんな上手だった。見学を望んだ中娘はこれが見たかったんだね。
そして閉式、拍手で送られて退場となる。
私はどうしても、中娘に最後まで傍観者のままではいさせたくなかったので、このとき無理矢理立たせて、クラスの子達の後から列に加わらせてしまった。保護者はその場で待機だったのだが、早々に抜け出して教室に様子を見に行ったら、卒業式の勢いに押されたのか、あんなに怖がって入れなかった教室の中に入って自分の席にちゃんとすわってたよ、中娘。
クラスで最後の時間を過ごしたら、担任の先生と一緒に外に出てきて校門の外まで、在校生と親に見送られる(吹奏楽部の伴奏付きで)。
退場から学校を出るところまで、中娘はクラスの子達といっしょにいることができた。学校の外に出ると、解放感でいっぱいのクラスの子達に囲まれて、その場に馴染んでいた中娘。その姿が見られて、少しだけ嬉しかった。
そして午後。2時半に職員室の前に来るようにと言われていたので、もう一度学校に向かう。今度は中娘と家人と私の三人で、正装して。
廊下で待っていると、校長室から拍手が聞こえてくる。しばらくすると卒業式を終えた生徒が二人ほど校長室から出てきたので、こんどは中娘ともうひとり隣のクラスの女の子が校長室に親といっしょに入る。
パイプ椅子が4台、スツールが4台ところせましと置かれていて、正面に校長先生、向かって右手角に学年主任の先生、向かって左側にはA組とB組の担任の先生がそれぞれお立ちになっている。学年主任の先生が、これから中娘さんと○○さんの卒業式を行います、と開会の挨拶をされ、卒業証書授与、と言われると、担任の先生が中娘の名前を呼ぶ。はい、と返事をして立って校長先生の前へ。校長先生は証書全文を読んでくださり、中娘に証書を授与してくださった。B組の子も同じように。
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そして、校長先生のお話。午前中の本番のときのお話とほぼ同じ内容をかいつまんで。次は担任の先生から一言ずつお言葉。午前中は60人以上を一度で(十把一絡げというと失礼だけれど)済ませたことが、午後は一人一人個別対応で、とても丁寧で、かえって恐縮してしまった。
最後に、学年主任の先生が、それでは最後に、中娘さんと○○さん、高校に行ったら何が一番したいか、一言ずつ言ってください、といきなり振られたので、中娘、えー??うーん。うーん、と言ってなかなか立ち上がれない。でも、先生に促されてなんとか前に立って親の方を向いて、「高校にちゃんと通いたいです。」と一言。それを聞いて皆が拍手。私ははじめて少し涙がにじんだ。
学校に行けない、とか、卒業式に出られない、とか、最後までいろいろいろいろあったけれど、でも、こういうこじんまりとした暖かな卒業式を行っていただいて、かえって中学校生活が感慨深いものとなったような気がする。中娘も同じ気持ちだったかな。
高校、ちゃんと通えるといいな。